2008-04-21

祟り神と見事な牡丹!『御霊神社』@奈良町

御霊神社(奈良町)

ならまち界隈を散策した途中で、元興寺近くにある『御霊神社(ごりょうじんじゃ)』(または南都御霊神社)に立ち寄ってみました。失礼ながら、私はこの神社の存在すら全く知らなかったのですが、大輪の牡丹と八重桜が美しい、小さいながらも雰囲気のいいお社でした。


全国にある「御霊神社」とは・・・

「御霊神社」という名前の神社は、日本各地に多数あります。奈良県内にもいくつかの御霊神社が存在していて、最も有名なのは五条市の御霊神社かもしれません。

そもそも、御霊神社とは「非業の死を遂げた者」、つまり「祟り神」を祀る目的で作られているそうです。


怨霊とは、政争での失脚者や戦乱での敗北者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊である。怨霊は、その相手や敵などに災いをもたらす他、社会全体に対する災い(主に疫病の流行)をもたらす。古い例から見ていくと、藤原広嗣、井上内親王、他戸親王、早良親王などは亡霊になったとされる。こうした亡霊を復位させたり、諡号・官位を贈り、その霊を鎮め、神として祀れば、かえって「御霊」として霊は鎮護の神として平穏を与えるという考え方が平安期を通しておこった。これが御霊信仰である。
Wikipedia「御霊信仰」より引用


奈良町の御霊神社の場合、井上皇后(井上内親王)・他戸皇太子・早良親王・藤原広嗣など、歴史上で「非業の死を遂げた」と言うとかなり早い段階で思い出されるような、数々の方が合祀されています。ちなみに、この御霊神社の開基は「桓武天皇」というのですから、かなりの歴史です。

・・・と、そのいわれを書いていくと、どことなくオドロオドロしいのですが、今では縁結びの神様や出世の神様まで祀られていますので、身構えていると拍子抜けしてしまうかもしれませんね(笑)

御霊神社(奈良町)-01
ならまちの世界遺産「元興寺」近くにある『御霊神社』。古くてゴチャゴチャとした界隈に、突然真っ赤な鳥居が現れます。奈良町の定番散策ルートにあるため、それほど大きな神社ではありあませんが、意外と観光客も多めでした

御霊神社(奈良町)-02
御霊神社の表門から中を見渡したところ。拝殿の裏に本堂がありますが、それほど大きなものではありません

御霊神社(奈良町)-03
御霊神社の拝殿。右手には社務所があります。その間にあるしだれ桜が、やや散りかけでしたが、いい雰囲気でした

御霊神社(奈良町)-04
拝殿の脇からチラリと見た本殿。時間が遅かったので本殿は拝見することができませんでした

御霊神社(奈良町)-05
御霊神社の摂社。後で調べたところ、祭神は祓戸四柱大神・市杵島比売神・稲荷五柱大神だそうです

御霊神社(奈良町)-06
御霊神社の手水舎。シンプルでした

見事な「牡丹」と「八重桜」!

神社としてのいわれはともかく、この日は見事な「牡丹」と「八重桜」が満開でした!

牡丹などは、1株しか植わっていないのですが、灯籠や石碑などとの雰囲気がとても良く、かなりの見物だと思います。この牡丹を撮影するために何人もの方がカメラ持参で立ち寄っていましたので、ぜひ機会があればご覧ください!

御霊神社(奈良町)-07
境内に一株だけあった牡丹。後ろの建物は住居なのでしょうか、灯籠や石碑などとマッチしていて、かなりいいですね!

御霊神社(奈良町)-08
鮮やかに咲いていた牡丹の花。この牡丹を撮影に来る人が沢山いましたから、それなりに有名なのかもしれませんね。確かに見事でした!

御霊神社(奈良町)-09
御霊神社の牡丹の花と灯籠。この一枚だけ見ると、まるで高級料亭のような印象ですね

御霊神社(奈良町)-10
御霊神社の摂社と八重桜。「これぞ日本!」という絵柄ですね

御霊神社(奈良町)-11
塀ごしに見える八重桜。ほぼ満開で、沢山の観光客がカメラを向けていました



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■南都御霊神社(ごりょうじんじゃ)

住所: 奈良県奈良市薬師堂町24
電話: 0742-23-5609
祭神: 井上皇后・他戸皇太子・早良親王・藤原広嗣・藤原大夫人・伊豫親王・橘逸勢など
創建: 9世紀ごろ
開門時間: 不明
拝観料: 無料
駐車場: 無し
アクセス: JR奈良駅から徒歩25分、近鉄奈良駅から徒歩15分

※2013/12/05 追記

この記事を書いてから数年が経ち、『御霊神社』へ久々にお詣りしてきました。以前はほとんど興味がなかった「怨霊」な方たちについて、簡単に追記しておきたいと思います。

御霊神社は、恨みを抱えて亡くなったために怨霊化したとして、その祟りを恐れて鎮魂のために作られたお社です。奈良町の南都御霊神社は、ライバルたちを排除するなど政争に明け暮れた「桓武天皇」(Wikipedia)ですが、第1皇子(後の平城天皇)が発病したり、妃や生母が病死したり、疫病に洪水などの凶事が続いたため、それを怨霊のしわざと考え、それを鎮めるために祀ったものです。

ここに祀られている方々の名前を観ていくと、祟り神として知られる方が勢ぞろいしています。

●天皇を呪詛したとして廃された、「井上皇后」(または井上内親王。Wikipedia)「他戸親王」の親子
●桓武天皇の実弟で無実を訴えながら悶死した「早良親王」(Wikipedia
●無実の罪で自死した「伊予親王」(Wikipedia)と「藤原大夫人(藤原吉子)」の親子
●政争に敗れ、恨みを抱いたまま亡くなったとされる「藤原広嗣」「文屋宮田磨(文室宮田麻呂)」「橘逸勢」
●境内にある摂社「若宮社」では「菅原道真」を

今ではまったくそんな雰囲気は感じられず、縁結びの神さまとして祀られていたりもしますが、古くは怨霊の魂を鎮めるための恐ろしい場所だと理解されていたことでしょう。そういったことも踏まえてお詣りしてみると、また違った面白さが出てきますね。


<追記>南都御霊神社@ならまち-02

『南都御霊神社』は、怨霊を鎮めるため、桓武天皇の勅願により創建された神社と伝わっています。本殿では、井上皇后・他戸親王、さらに事代主命が。左の社殿では、早良親王・藤原大夫人(藤原吉子)・藤原広嗣が。右には、伊予親王・文屋宮田磨(文室宮田麻呂)・橘逸勢が祀られています

<追記>南都御霊神社@ならまち-03
「御霊神社は、社伝によると井上皇后・他戸親王ら八神を、お祭りしています。このあたりは奈良時代には元興寺に寺域であり、御霊神社付近には南大門があったと推定されています。古くはその門前に御霊社の社地があり、御霊をなぐさめる御霊会が催されたといい、十五世紀には猿楽などの芸能も行われました。今も奈良町を中心に、広範な信仰を集めています。」

<追記>南都御霊神社@ならまち-04
御霊神社の拝殿。境内は決して広くはありませんが、奈良町の中心部にあることから、たくさんの観光客の姿がみられます

<追記>南都御霊神社@ならまち-07
拝殿脇から「本殿」を観たところ。左右にも小さな社殿が建っています

<追記>南都御霊神社@ならまち-11
そんな御霊神社も、現在は願いごと達成・健康・知恵さづけ・縁結びなどのご利益があるとされています。また、平安時代前期の三筆のひとり・橘逸勢(たちばなのはやなり)もご祭神ですので、書道上達のご利益もあるのだとか

<追記>南都御霊神社@ならまち-13
御霊神社でいただいた御朱印です

※実際にお詣りしたのは「2013年9月29日」でした。






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