2014-05-25

ニ室に分かれた石室が観られる『牽牛子塚古墳』@明日香村

ニ室に分かれた石室が観られる『牽牛子塚古墳』@明日香村

斉明天皇とその娘・間人皇女が合葬されたお墓と考えられる『牽牛子塚(けんごしづか)古墳』。巨大な凝灰岩をくり抜いて作った石槨の中央に仕切りが設けられ、最初から合葬できるよう設計されていた珍しいものです。外からその石室を拝見できるようになっていました。近くにある『真弓鑵子塚古墳』の様子も合わせて観てきました。


墳丘は黒いシートに覆われていました

明日香村越にある『牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)』(Wikipedia)。日本での古墳造営が終わりに近づいていた終末期に築造されたもので、天智天皇の母である「斉明天皇」の墓(娘の間人皇女との合葬)であることがほぼ確実と考えられています。

古くから「あさがお塚古墳」と呼ばれており(牽牛子とはあさがおの別称)、その呼び名を裏付けるように、天皇家の陵墓として多く築かれた「八角形墳」です。2010年頃の調査によってそれが判明し、大きな話題になりました。


この時以来、久しぶりに現地を訪れてみましたが、いろいろと様子が変わっていて面白かったです。


牽牛子塚古墳@明日香村-01

明日香村越の「牽牛子塚古墳」と「真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳」。国道169号線「飛鳥駅前」のひとつ南側の交差点を、西の山側へ進むと、数台分の小さな駐車スペースがあります。ここから500mほど歩きます。飛鳥駅から歩く場合は、石室が美しい「岩屋山古墳」(紹介記事)にも立ち寄るといいですね

牽牛子塚古墳@明日香村-03
途中でふた手に道が分かれます。右手は牽牛子塚古墳へ、左手は鑵子塚古墳へ。寂しい道なので不安になりますが、それほど迷いやすくはありません

牽牛子塚古墳@明日香村-05
「史跡 牽牛子塚古墳」の碑が立っています。その背後に墳丘が観えますが、墳丘全体が黒いシートに覆われています


中央に仕切りが設けられた特異な石室!

牽牛子塚古墳については、たくさんの画像が出回っていますから(画像検索)、現地へ行く前に検索しておくとイメージが掴みやすいでしょう。

●三段築成の八角形墳。墳丘全体の土は版築で突き固められていた
●墓室は巨大な凝灰岩をくり抜いた横口式石槨。中央部に仕切りが削りだしてあり、当初から追葬できるように製作されていた
●夾紵棺の破片や金属の金具などが出土しており、重要文化財に指定されている

などなど。奈良と大阪を隔てる二上山から切り出した、巨大な凝灰岩(幅約5m×奥行約3.5m×高さ約2.5m)をくり抜いて石室として使用しています。これだけ大きな石室を運ぶのも大変だったでしょうし、ここまでの加工をするのも時間がかかったでしょうね。

ちなみに、現在は高取町車木にある「車木ケンノウ古墳」が『皇極・斉明天皇陵』として治定されています(紹介記事)。いつか宮内庁が指定を変更する日が来るかもしれません。


牽牛子塚古墳@明日香村-07

周りをよく見てみると、石室の入口部分は観られるようになっています!

牽牛子塚古墳@明日香村-08
石室の外側。鉄柵がるため、中には入れません。ほんの少しですが、きれいにカットされた石組みが見えます

牽牛子塚古墳@明日香村-09
外から石室内を眺めたところ。墓室は、巨大な凝灰岩をくり抜いた横口式石槨で、中央に仕切りが。2つの石棺を埋葬するように設計されています

牽牛子塚古墳@明日香村-10
床の低い棺台は、高さ0.1m×長さ1.9m×幅0.8mのベッド状。天智天皇の母である「斉明天皇」の墓であり、その娘・間人皇女と一緒に葬られたようです。さらに、夭折した孫・健王も合葬されているという説もあります

牽牛子塚古墳@明日香村-06
現地には説明書きもあります。最近の調査では「三段築成」とされていることが多いですが、ここではまだ「ニ段築成」となっていますね

牽牛子塚古墳@明日香村-11
牽牛子塚古墳と「越塚御門(こしつかごもん)古墳」の説明。越塚御門古墳は、牽牛子塚古墳の調査の際に新たに見つかった、ほぼ同時期に築造された古墳です。斉明天皇の孫、持統天皇の姉にあたる「大田皇女」(Wikipedia)のお墓ではないかと考えられているものです。見た目からは古墳の存在は分かりませんでした


巨大なドーム状石室の『真弓鑵子塚古墳』

牽牛子塚古墳から直線距離200mほどの位置には、同じ終末期古墳の『真弓鑵子塚古墳』(まゆみかんすづかこふん)があります。

尾根を利用して作られた、直径約40m・高さ約8m、二段築成の円墳。埋葬施設は、南向きの横穴式石室で、石400個を用いた巨大なドーム型をしています。石室の天井の高さが約4.7mもあり、同じ明日香村の「石舞台古墳」を上回る規模だったとされています(こちらのページに詳しいです)。

玄室の北側にさらに奥室が設けられているのが特殊なのだとか。獣面飾金具や馬具、ミニチュア炊飯具や須恵器など、出土品も多数見つかりました。

少し前までは、墳丘はもちろん、石室内も拝見できたようですが、2008年の発掘調査でその規模の大きさや豪華さが判明してからは、立ち入りを禁じられているようです。遠くから眺めるしかありませんが、事前に予習をしていくと、巨大な石室の姿が想像できますよ!


真弓鑵子塚古墳@明日香村-14

向こうに見えるこんもりとした丘が「真弓鑵子塚古墳」です。牽牛子塚古墳から直線で200mほどの距離です。終末期古墳が集中しているエリアだけに、周りは田んぼだらけののどかな風景が広がります

真弓鑵子塚古墳@明日香村-16
現地の説明書き。大きな岩をゴロゴロッと積み上げた石室の写真は迫力がありますね。これで天井の高さが約4.7mもあり、ほぼ石舞台古墳と同じくらいです。面積的にはそれを上回る約28平方mもあるとか。内部に入ったらものすごい迫力でしょうね!

真弓鑵子塚古墳@明日香村-17
しかし、現在は墳丘上は立入禁止になっています

真弓鑵子塚古墳@明日香村-18
この石段の向こう側に、あの巨大なドーム型石室が埋まっているのかと思うと、テンションが上がりますね!

真弓鑵子塚古墳@明日香村-19
そんな静かな田舎道を見守ってくれる石のお地蔵さま



■牽牛子塚(けんごしづか)古墳

HP: 参考(明日香村ホームページ
所在: 奈良県高市郡明日香村越
駐車場: 数台分あり
アクセス: 近鉄吉野線「飛鳥駅」より徒歩15分


■参考にさせていただきました

牽牛子塚古墳 - Wikipedia
牽牛子塚古墳
真弓鑵子塚古墳
真弓鑵子塚古墳 (まゆみかんすづか) 大和の古墳探索


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