山背大兄王のお墓はどこ?『三井岡原古墳』&『西宮古墳』
聖徳太子の子という高貴な身分でありながら、蘇我入鹿の命により斑鳩の地で悲劇的な最期を遂げた「山背大兄王」。あまり知られていませんが、そのお墓として宮内庁が参考地としているのが『三井岡原古墳』(斑鳩町)です。また、「実際のお墓はこちらだ」という説のあるのが『西宮古墳』(平群町)です。ぜひあわせて巡ってみてください。
本記事は共著書の追加情報です
2021年は聖徳太子の「一四〇〇年遠忌」に当たります。それに合わせて、共著のムック本『たずねる・わかる 聖徳太子』が発売になりました。
書名: 淡交ムック たずねる・わかる 聖徳太子
著者: 古谷正覚、千田稔、石川知彦、中村秀樹
出版社: 淡交社
定価: 1,650円(税込)
発売日: 2020年10月10日
判型: A4判 並製 120頁(カラー112頁)
ISBN:9784473021519
詳細: たずねる・わかる 聖徳太子 | 淡交社
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本書では「聖徳太子のゆかりの地」として、近畿二府四県にまたがる36箇寺で構成される「聖徳太子御遺跡霊場」を中心に、聖徳太子と同時代の方たち(物部守屋・秦河勝・来目皇子・山背大兄王など)ゆかりの地などもご紹介しています。
しかし、取材メモや撮影画像は膨大で、誌面ではご紹介しきれていません。一部スポットに関してより詳細なレポートを掲載しますので、本書の追加情報としてお楽しみください。
上宮王家の終焉となった悲劇の人物
「山背大兄王(やましろのおおえのおう)」(Wikipedia)は、聖徳太子の長子と考えられる人物です。太子の没後、その一族・上宮王家を率いて政に関わり、次期天皇の有力候補と目されていました。
しかし、643年(皇極天皇2年)11月、蘇我入鹿の命令により、巨勢徳多らの兵が斑鳩宮の山背大兄王を襲撃。一族は生駒山へと逃亡します。家臣から「東国で再起を期し、入鹿を討ちましょう」と進言されますが、戦闘を望まずそれを断って斑鳩寺(現在の法隆寺)へ入り、一族みな自害へと追い込まれます。高貴な血筋を誇った上宮王家はこうして滅亡してしまいました。
この2年後、乙巳の変(大化の改新)により蘇我氏本宗家は滅亡させられます。上宮王家が滅びた事件がどれだけ大きな政変だったかが伝わってきます。
聖徳太子の子であり、悲劇の皇子として知られる人物ですが、その墓所の所在地ははっきりとしていません。
『三井岡原古墳』は法輪寺~法起寺の間
山背大兄皇子の墓所の可能性があるとして、宮内庁から「富郷陵墓参考地」(とみさとりょうぼさんこうち)と指定されているのが、斑鳩町三井の『三井岡原古墳』(みいおかのはらこふん)です。
斑鳩の里の古刹・法輪寺と法起寺の道筋のすぐ脇にあるこんもりとした丘の頂部にありますが、現地には説明のプレートがありますが、知らない人は素通りしてしまうでしょう。
斑鳩町の法輪寺から約300mほど東(法起寺方面)へ進むと、道路の脇に「(伝)山背大兄王の墓所(富郷陵墓参考地)」という説明プレートが設置されています。この画像の正面にある丘の頂上部分に、山背大兄王のお墓があると伝わっています
プレートのある場所から、丘に向かって真っ直ぐに進みます。のどかな畑に囲まれた細い道を歩いていくと、途中で舗装が途切れて、
こんな鬱蒼とした林の中に入っていきます。こうしたお墓(古墳)巡りは、雑草や藪蚊の少ない冬に行くのがお勧めです!
その先に、山背大兄王の墓所とされる『三井岡原古墳』が現れます。宮内庁の管理地であることを示す看板があります。丘の頂部にある円墳で、柵で囲われている周囲をぐるっと一周歩くことができます
しかし、山背大兄王の亡くなった7世紀には、すでに「丘の頂部に埋葬する」ことをしなくなっていたため、現在ではここが実際のお墓である可能性は低いとされています。ちょっと残念ですね
ちなみに、9号線(奈良大和郡山斑鳩線)沿いの駐車スペース(史跡「中宮寺跡」の近く、右手に法起寺三重塔が見えるあたり)からよく見える丘がそれにあたります。「あの丘に山背大兄王は眠っている(かもしれない)んだ」と思い出してあげてください!
●三井岡原古墳(富郷陵墓参考地)
所在地:生駒郡斑鳩町三井
拝観時間:見学自由
アクセス:JR「法隆寺駅」からエヌシーバス「法起寺前」下車、徒歩5分
美しい石室と石棺を持つ『西宮古墳』
そして、山背大兄王の墓所の候補とされているのが、生駒郡平群町の『西宮古墳(1号墳)』(Wikipedia)です。江戸時代の「大和名所図会」などではここを山背大兄王としており、現在もその説を支持する方が少なくありません。
西宮古墳の一帯は「平群中央公園」となっており、さまざまなスポーツ施設などが整備されています。
『西宮古墳 1号墳』は、平群中央公園内の南側に開口しています
現地の説明にはこのようにあります。
・7世紀中頃~後半に築造された終末期古墳
・三段築成の方形墳(1辺約36mの正方形)
・石室は切石を用いた精緻なもの。石材は平群町越木塚産
・兵庫県産・竜山石で製作された刳抜式(くりぬきしき)の家形石棺が現存 など
外から石室を覗いてみたところ。内部に石棺があるのが見えます
内部に入ってみると、石室に使われた石材がどれも巨大なこと、精密に加工されていることがはっきりとわかります。また、竜山石をくり抜いて彫った家形石棺も見事なもので、被葬者が高貴な身分の方であったことが連想されました
ちなみに、石室内を石棺の奥へと進むと、さらに天井が高くなっています。どのような意味があるんでしょうね?
石室内から撮影したところ。
私は専門家ではありませんので、ここが本当の山背大兄王のお墓かどうかは判断できません。しかし、これだけ端正なつくりを目の当たりにすると、それが真実であっても不思議がないように思えてきました。
いずれにしても、奈良県内でも有数の美しい石室だと思いますので、ぜひ現地で体験してみてください!
■西宮古墳
HP: 参考サイト(Wikipedia)
所在地:奈良県生駒郡平群町西宮543
拝観時間:見学自由
駐車場: 平群中央公園の駐車場を使用
アクセス: 近鉄「竜田川駅」から徒歩5分
※実際に現地へ行ったのは「2020年5月11日」でした。
■参考にさせていただきました
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