2011-07-31

旧石器文化の3種の石の博物館『二上山博物館』@香芝市

旧石器文化の3種の石の博物館『二上山博物館』@香芝市

奈良県香芝市にある「全国初 旧石器文化を紹介する石の博物館」という『香芝市二上山博物館』へ行ってきました。万葉歌に詠われただけではない、3種類の石の産地としての二上山のことが学べる、とても面白い内容でした。


ガイドさんに説明を受けるのがベター

万葉集の時代から「ふたかみやま」と歌に詠まれた「二上山(にじょうざん)」。『香芝市香芝市二上山博物館』は、その美しい山容を臨む香芝市にある、「全国初 旧石器文化を紹介する石の博物館」と銘打った施設です。ホールや図書館などが併設された「香芝市ふたかみ文化センター」の1階にあります。

写真撮影は入館時に申込書類を記入する必要があります。また、画像をネット上で公開するのも、あまり大量になると問題がある(別の届出が必要になる)とのことでしたから、今回はほどほどの枚数を掲載しておきます。


香芝市二上山博物館-01

奈良県香芝市の「香芝市ふたかみ文化センター」の建物。この1階部分に『二上山博物館』があります。ホールや図書館と併設のため、休日には駐車場が満車になることもありますが、真向かいにある市役所の駐車場を利用できます

香芝市二上山博物館-02
二上山博物館の入口部分。観覧料金は大人200円です。館内の撮影には許可が必要ですので、受付で申し出てください。無料でボランティアガイドさんの説明も受けられます。私たちもガイドをお願いしましたが、地元民でも知らなかった情報がたくさん聞けて、本当に参考になりました


3種類の石「サヌカイト・凝灰岩・金剛砂」

万葉歌では、二上山は現世とあの世を隔てる山とされ、どことなくたおやかであったり、優美な印象を受けます。しかし、実際には、今からおよそ2000万年前に噴火した死火山であり、古くから3種類の火成岩「サヌカイト」「凝灰岩(ぎょうかいがん)」「金剛砂(ざくろ石)」が採取され、旧石器時代から利用されてきた歴史があります。


●サヌカイト
サヌカイトはガラス質の安山岩で、砕くと貝殻状に割れて鋭い刃になることから、打製石器の原料として利用されました。旧石器時代から弥生時代るまで、青銅や鉄と同じぐらい貴重な資源とされたそうです。

●凝灰岩(ぎょうかいがん)
凝灰岩は、火山から噴出された火山灰が地上や水中に堆積してできた岩石です。5世紀ごろから、二上山の凝灰岩は古墳の石棺材として利用され、藤ノ木古墳・高松塚古墳などの石槨に用いられています。それ以降も、寺院や宮殿の礎石、燈籠や五輪塔、石仏などに利用されました。

●金剛砂(ザクロ石)
金剛砂とは「ガーネット」のこと。石切場火山岩が風化流出したもので、非常に硬いことから、研磨材として利用されてきました。勾玉などを磨く用途にも使われたほか、
この地方の特産品として皇室に献上した記録も残されているそうです。明治時代以降、近代産業の発達にともない需要が急増。サンドペーパーなどとして、全国の90%ほどのシェアを占めていました。


古代人にとってはいずれも重要な資源だったんでしょう。二上山の周辺で、こんな3種類の石が採掘されていたというのも面白いですね。これ以外にも、お子さんにも分かりやすいジオラマ模型や、モニターで学べる「二上山Q&A」のコーナーなどもありました。


香芝市二上山博物館-03

中央の展示スペース。マップのタイトルは「これがサヌカイトだ」!

香芝市二上山博物館-07
狐井遺跡などから出土した、二上山のサヌカイトを使用した石器たち。この一帯で石剣や石槍に加工されたのはもちろん、未完成の状態で他の地域に運ばれていくなど、石器のふるさとのような場所だったそうです

香芝市二上山博物館-08
サヌカイトが割れた状態で出土したもの。ちゃんと繋ぎあわせられるのは珍しいのだとか。見るからに鋭利で、肉や魚くらいは捌けそうでした

香芝市二上山博物館-05
「凝灰岩と古代」コーナー。凝灰岩は加工しやすい軟らかい石で、古くから石造物に使用されてきました。原石とともに、様々に加工されたものが展示されています

香芝市二上山博物館-06
香芝市藤山から出土した家形石棺。6世紀の古墳時代後期に作られたもので、もちろん二上山の凝灰岩を使用しています。一部が失われているため、側石などは復元されたものが使われています

香芝市二上山博物館-04
五位堂駅前の「下田東遺跡」から出土した、人物や馬などの埴輪群です。身近な土地の足元に、まだまだこんなものが埋まっているんですから、不思議な土地ですね!

香芝市二上山博物館-12
夏休みには「サファイアさがしにチャレンジ!」という企画も開催されています(入館料と別途材料代が必要。大人100円、小人50円)。二上山の砂から、サファイア(=金剛砂)など何種類かの細かい宝石をより分けるというもの。お子さんの夏休みの課題にいいかもしれませんね


香芝で見つかった国宝(の複製)も!

また、香芝市の文化財を紹介するコーナーもありました。王寺町に近いところにあった、飛鳥時代の「尼寺廃寺跡(国史跡)」の塔跡の復元模型や出土品の展示など、とても興味深かったですね。

また、全く存在すら知らなかったのですが、香芝市ゆかりの品で、ただ一つ国宝に指定されている「威奈大村骨蔵器(いなおおむらこつぞうき)」というものがあるのだそうです。展示品は複製ですが、本物は大阪・四天王寺の所蔵となり、京都国立博物館に寄託されています。

■金銅威奈大村骨蔵器
原品=国宝 四天王寺蔵(京都国立博物館寄託)
時代:飛鳥時代 慶雲4(707)年銘
法量:総高24.2cm、径24.4cm

威奈大村骨蔵器は金銅製で、中央やや下寄りで蓋と身を合わせた球形の容器です。蓋には「小納言正五位下威奈卿墓誌銘并序」で始まる墓誌銘391文字が10字詰39行で放射状に陰刻されています。銘文には大村は宣化天皇4世の孫である威奈鏡公の第3子で 、文武朝に小納言、侍従、太政官左小弁を歴任した。慶雲2(705)年11月、越後城司に任ぜられ、同4年2月に正五位下を授かりますが、同年4月24日、病のため越後城で亡くなりました。享年46歳。遺骨は同年11月21日、大倭国葛木下郡山君里狛井山崗(現香芝市穴虫)に帰葬したとあります。

二上山麓は多くの火葬墓が存在する地域として知られています。墓誌を伴う火葬墓は全国で16例あり、そのうち4例が二上山麓から発見されており、7~8世紀において、古代官人の公葬地として強く意識されていたことがわかります。


説明文より


簡単にいえば、「金銅で精密に作られた球形の骨壷」のようなもの。707年の銘があり、江戸時代の中ごろに穴虫から出土したもので、705年に越後城で亡くなった大村さんを、こちらに遺骨を葬ったのだとか。色んなものがあるんですね。


香芝市二上山博物館-09

香芝市の文化財を紹介するコーナーでは、「尼寺廃寺跡(国史跡)」の礎石と心柱などの復元模型があります。法隆寺式伽藍を持つ飛鳥時代の寺で、日本最大規模となる約3.8m四方の塔心礎が発掘されています

香芝市二上山博物館-10
「尼寺廃寺跡(国史跡)」の塔心礎から発見された「舎利荘厳具」。耳環12点、刀子1点、水晶丸玉2点、ガラス丸玉1点などが展示されています。飛鳥時代の寺院の塔の根元には、こんなものが埋められていたんですね!

香芝市二上山博物館-11
香芝市発の唯一の国宝「威奈大村骨蔵器(いなおおむらこつぞうき)」。もちろん複製で、本物は京都国立博物館に寄託されています。江戸時代の中ごろに穴虫から出土したもので、工芸品のように美しく作られた骨壷のようなものですね


お土産に「二上山のサヌカイト」を

また、ミュージアムグッズとして、サヌカイトの破片が販売されていたりするのもいいですね!かなり地味な内容ですが、鉱物好きな方はもちろん、古代がお好きな方であれば楽しめると思います。やや距離はありますが、當麻寺などと合わせて立ち寄ってみてください。


香芝市二上山博物館-13

二上山博物館の出版物など。「聖徳太子と信仰の道」「二上山麓の考古学」「古代大坂越えの道と大坂の神」「越中と大和 ふたつの二上山」「大来皇女と大津皇子」「ふたかみ邪馬台国シンポジウム」の資料集など、渋くて魅力的なものばかり!

香芝市二上山博物館-14
ミュージアムグッズ「二上山のサヌカイト」。1袋300円のものと、1個100円~500円くらいの単品もあります(私も買いました)。鋭利な打製石器ですね。「このサヌカイト片は、田畑や野山などには絶対にすてないで下さい(遺跡を捏造することになります」という注意書きがリアル!

香芝市二上山博物館-15
建物の前に立つ歌人・会津八一の歌碑「天つ風 吹きのすさみに 二上の 峰さへ嶺さへ 葛城の雲」。当麻寺へやって来た際に、葛城山をから出た雲が、風にあおられて二上山を覆った光景を詠ったものです。この他、石棺のレプリカなどがありますので、建物の前も見てみてください



大きな地図で見る


■香芝市二上山博物館

HP: http://www.city.kashiba.lg.jp/life/shisetsu/hakubutsukan/
住所: 奈良県香芝市藤山一丁目17番17号(香芝市ふたかみ文化センター1F)
電話: 0745-77-1700
休館日: 月曜日(祝日の場合はその翌日)
開館時間: 9:00 - 17:00
駐車場: 無料
アクセス: 近鉄大阪線「下田駅」から徒歩7分ほど


■参考にさせていただきました!

奈良県香芝市二上山博物館
大和路アーカイブ [香芝市二上山博物館]






 【旧石器文化の3種の石の博物館『二上山博物館』@香芝市】へのコメント
寮美千子  11-08-08 17:24

球形の骨蔵器、鳥取で見ました。伊福吉部徳足比売(いふくべとこたりひめ)のもの。よそのブログですが、詳しく書かれていたので。

http://barakan1.exblog.jp/7531966/
「因幡国の豪族である伊福吉部氏の娘として生まれた伊福吉部徳足比売は、藤原京にあった文武天皇に采女として仕えた。707年(慶雲4年)には地方豪族としてはまれな従七位下の位を授けられている。」
「その後、徳足比売は病を得て、故郷因幡国に帰ることなく708年(和銅元年)7月1日に大和国で没した。 徳足比売の遺体は、3年間のもがり(仮埋葬)の後、710年(和銅3年)10月に当時流行し始めていた火葬にされた。」
「遺骨は彼女の故郷因幡国に送られ、同年11月13日に彼女の生まれ育った鳥取平野を見下ろす稲葉山の中腹に葬られた。」

映画「ゴジラ」の作曲家の伊福部昭先生は、このお姫様の家系の末裔。伊福部家は明治になるまで、因幡一の宮である宇倍神社の司祭を務めていました。

同じ形の器。同じ時代、同じような位の高い人のお骨が納められたんでしょうね。

naka  11-08-09 15:43

>寮美千子さん

寮さん、コメントありがとうございます!

火葬にして球形の骨蔵器に収めることが、この時期の最先端だったんでしょうね。越後で亡くなった方が奈良へ、奈良で亡くなった方が因幡で、同じようなものに収められて移送されるなんて面白いですよね。それほど数も見つかっていないんでしょうから、どのくらいの身分の方たちだったのかも気になります!

また、マニアック過ぎるかと思って本文中には書きませんでしたが、ガイドさんのお話では、原料の金銅はとても薄く延ばしてあるため、意外と軽いんだそうです。展示用のレプリカを作るために職人さんに発注したところ、「あんなに薄く作れません」と、実物よりもだいぶ厚めになってしまったんだとか。そんな薄さで2つのパーツが隙間なくピッタリと締まるのは、考えられないほどの高度な技術だったようです。

さらに、奈良で見つかったものは、越後で作られた可能性が高いでしょうから、都から遠く離れたところでそれが可能だったということには、驚き倍増ですね!ロマンが広がりますよね(笑)





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