悲劇のヒーローが居た『山田寺跡』@桜井市
フラッと飛鳥方面(また橘寺へ行きました)へ出かけた際、ちょっと道を間違えたら、偶然『山田寺跡』の看板を見つけました。
特に何も無いところだということは知っていたのですが、とりあえず寄り道してみました。
山田寺の開基「蘇我倉山田石川麻呂」
山田寺は、古代史の悲劇のヒーローの一人である「蘇我倉山田石川麻呂」によって建立が始まったお寺です。大化の改新の立役者で、新政府の右大臣となった人物ですが、数年後には謀反の罪を着せられて自害に追い込まれてしまったのです。
山田寺の開基である蘇我倉山田石川麻呂(? - 649年)は蘇我氏の一族に属し、蘇我馬子は祖父、蘇我蝦夷は伯父、蘇我入鹿は従兄弟にあたる。石川麻呂は蘇我氏の一族でありながら蝦夷、入鹿らの蘇我氏本宗家とは敵対しており、中大兄皇子(葛城皇子、後の天智天皇)、中臣鎌足らの反蘇我勢力と共謀して、皇極天皇4年(645年)に起きた乙巳の変(蘇我入鹿暗殺事件)に加担した。乙巳の変後に発足した新政権では、石川麻呂は右大臣に任ぜられた。『日本書紀』によれば、乙巳の変の4年後の大化5年(649年)、石川麻呂の異母弟・蘇我日向(ひむか)は、石川麻呂に謀反の志があると中大兄皇子に密告した。そして、石川麻呂のもとへは孝徳天皇の軍勢が差し向けられた。石川麻呂は抗戦せず、一族とともに山田寺仏殿前で自害した。石川麻呂は無実であり冤罪(えんざい)であったとされるが、事件の真相については諸説ある。Wikipedia「山田寺」より引用
この蘇我倉山田石川麻呂が開基となり、641年に山田寺の造営が始まりました。649年に彼が亡くなった後、685年の天武天皇の代になってようやく完成したのです。しかしその後は衰退の道を辿り、12世紀頃には現在の談山神社の末寺になっていたのだとか。
その後、明治期の廃仏毀釈運動によって廃寺となり、1892年に再興されたものの、現在まで栄華を取り戻すにはいたっていません。
今はほぼ何も無い野原です
現在の山田寺跡は、国の特別史跡に指定され、建物が一直線に並ぶ「天王寺式伽藍」があった土地が保護されています。発掘跡などには説明書きがあるのですが、実際のところ、何も無い原っぱですね。
1982年には、東回廊がほぼ当時の様子のまま発掘されたことが、大きな話題となったそうです。しかし、その土地も今はすでに埋め戻されていて、礎石のレプリカが置いてあるくらいのものでした。
明日香村から桜井市に入ったところにある『山田寺跡』。現在は国の特別史跡に指定されていて、説明書きが数ヶ所に設置されています。それ以外は何もないところですね
敷地の入口部分の小さな広場。本当に何も無いところですので、広々として見えますね
山田寺跡に残る「宝蔵跡」。四個四列に並んだ礎石が見つかり、高床式の建物があったとのこと。経軸や仏具などの遺品が出土しています
山田寺跡の「東面回廊」。建物全体が倒れた状態で発掘され、柱や連子窓などが程度のいい状態で見つかっています。その部分を復元したものが飛鳥資料館に展示してあります
「東面回廊」を別角度から。発掘当時のことは私には分かりませんが、かなりの重大発見で盛り上がったんでしょうね
国の特別史跡「山田寺跡」を示す石碑。背後に盛り上がっているのは塔跡です
山田寺跡の「金堂跡」。周囲には板石を敷き詰めた「犬走り」が巡っていたのだとか。石碑の隣の長方形の石は「礼拝石」の復元で、ここで仏さまを拝んでいたそうです
飛鳥資料館の山田寺関連の展示物
ついでに、先日行った「飛鳥資料館」の山田寺関連の画像も一緒に掲載しておきます。
山田寺の名前を現在に残すものといえば、やはり「銅造仏頭(旧山田寺講堂本尊)」ですね。今は興福寺の国宝館に収められていますが、元々は山田寺のご本尊の薬師如来像でした。
奈良市・興福寺に所蔵される銅造仏頭(国宝)は、もと山田寺講堂本尊薬師如来像の頭部であった。『玉葉』(九条兼実の日記)によれば、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵が山田寺に押し入り、山田寺講堂本尊の薬師三尊像を強奪して、興福寺東金堂の本尊に据えた。当時の興福寺は平重衡の兵火(治承4年・1180年)で炎上後、再興の途上であった。この薬師如来像は応永18年(1411年)の東金堂の火災の際に焼け落ち、かろうじて焼け残った頭部だけが、その後新しく造られた本尊像の台座内に格納されていた。この仏頭は昭和12年(1937年)に再発見されるまでその存在が知られていなかった。
Wikipedia「山田寺」より引用
これを見るとかなりひどい話に聞こえますが、今の山田寺の状態を見ると、仏頭だけでも現代に残っていることを良しとしなくてはいけないのかもしれませんね。
山田寺といえば、やっぱり「銅造仏頭(旧山田寺講堂本尊)」でしょう。現在は興福寺の国宝館に収められています。写真は飛鳥資料館のレプリカです
飛鳥資料館に復元された山田寺の東回廊。もうすっかり野原に戻ってますが、こんな立派なものがあったそうです
現在の山田寺は、まるで廃寺?
すっかり廃寺扱いの山田寺ですが、実は今でもちゃんと山田寺は存在しています。山田寺跡地に隣接して、小さなお堂と寺務所だけが残っているのですが、かなりの荒れ具合でした。まともに存続しているのかどうかは外観からは不明でしたが、少なくとも観光客をひきつけるほどの魅力が無いことは事実でしょう。
山田寺跡は、住所は桜井市になりますが、明日香村との境にありますので、飛鳥観光の時間が余ったら立ち寄ってみるのもいいかもしれません。
広々とした敷地の脇に、小さなお寺があります。これが一応は現在の山田寺ということになります。どのような体制になっているのかは分かりませんが、かなりの寂れ具合ですね
現在の山田寺。元から衰退していたところへ、明治の廃仏毀釈運動の際に廃寺になり、その後再興されています。しかし、過去の栄華を取り戻すことは難しいようです
石碑と、奥に見えるのは寺務所です。カーテンは長い間締め切ってあるようですし、荷物が散乱している雰囲気もあって、まるで廃寺のようでした
■山田寺跡
HP: なし
住所: 奈良県桜井市大字山田
電話: ----
宗派: ----
本尊: ----
創建: 蘇我倉山田石川麻呂(天武天皇)
開基: 685年
拝観料: 無料
拝観時間: 制限なし
駐車場: 無料駐車場あり