2011-09-26

行基・忍性のお墓があるお寺『竹林寺』@生駒市

行基・忍性のお墓があるお寺『竹林寺』@生駒市

生駒市にある『竹林寺』へお詣りしてきました。奈良時代に社会活動を行い、奈良の大仏さんの造立にも尽力した「行基菩薩」と、鎌倉時代に慈善事業などを行った名僧「忍性」のお墓があります。小さなお寺で静かに眠っていらっしゃいました。


大僧正・行基ゆかりの小さなお寺です

生駒市有里町にある『竹林寺』は、奈良時代に数多くの社会事業を行い、東大寺の大仏の造立にも活躍した僧・行基(Wikipedia)ゆかりのお寺です。文殊菩薩の化身とされた行基が、壮年期に小庵「生駒仙房」を構えた土地に建つとされ、境内には『史蹟 行基墓』があります。

明治の廃仏毀釈運動以降は、ほぼ廃寺同然となり、ずっと無住の状態が続いていたようですが、本堂も庫裡らしき建物も新しくなり、復興されていることが伺えます。


竹林寺(行基墓)@生駒市-01

生駒市有里町にある『竹林寺』の参道。奈良時代の高僧・行基の墓があることで知られています。参道側には小さな駐車スペースがありますが、行基の墓に近い東側の住宅地に入ってしまうと車を停める場所はありません。南側からアプローチしましょう

竹林寺(行基墓)@生駒市-02
参道沿いにある「竹林寺古墳」。古墳時代前期の、全長約45mの前方後円墳ですが、現在は後円部分が残るのみ。「長宣子孫」と銘の入った内行花文鏡や、刀剣片、埴輪片などが出土しているそうです

竹林寺(行基墓)@生駒市-03
竹林寺前。ずっと無住だったお寺だけに、山門のようなものはありません。本堂が新しいこともあって、お寺にさえ見えないかもしれません

竹林寺(行基墓)@生駒市-04
生馬山竹林寺の説明看板。「奈良時代に行基菩薩が生馬仙房をかまえた故地とみられる。行基は文殊菩薩の化身と仰がれ、鎌倉時代に舎利瓶が出土し、その後円照、良遍、忍性、凝然ら高僧が集い堂塔が整った。寺名は、文殊の霊場中国五台山大聖竹林寺にちなむ。」

竹林寺(行基墓)@生駒市-05
竹林寺の本堂。ご本尊の文殊菩薩さまを祀る、まだ新しい建物です。本堂内部が見える小窓が開いていましたが、薄暗くてよく分かりませんでした。お堂前に並んだ蓮の鉢などは、ちゃんと手入れされていて、終わりかけでしたが、萩の花も見られました

竹林寺(行基墓)@生駒市-06
本堂脇には、真っ白い壁が美しい「庫裡」らしき建物が。お月見のイベントの告知なども見られましたし、無住のお寺だったと聞いていましたが、どうやら解消されたようですね

竹林寺(行基墓)@生駒市-08
本堂脇にあった「行基顕彰碑」。解説によると、「利生のために降誕し、人の世にありて八十二年なり。仏場を建つること四十九なり。菅原寺にこれ圓寂を唱し生馬山を点じ、真骨を留めて…」といった内容なのだそうです


『史蹟 行基墓』はこんもりとした墳丘

竹林寺の本堂に向かって右手20mのところには、『史蹟 行基墓』があります。10m四方ほどの墳丘らしいのですが、残念ながら草が生い茂ってしまい、ほとんど確認できませんでした。

行基は、菅原寺(喜光寺)で没した後、生駒山の東陵で火葬され、竹林寺に埋葬されたとされています。このお墓は後に掘り返されて、発掘された「墓誌断片」(奈良国立博物館所蔵)が伝わっています。



奈良時代の高僧、行基の火葬墓から出土した銅鋳製の墓誌断片で、残画を含め4行21字が残る。奈良・唐招提寺に伝わる『竹林寺略記』によると、行基墓は文暦2年(1235)に発掘され、八角石筒の中に銀筒を納め、その中に「行基菩薩遺身舎利之瓶」の銀札を付した銀製舎利瓶が奉安されていたという。銀筒には20文字詰17行、309字からなる「大僧正舎利瓶記」が刻まれていた。それによると、行基は天平21年(749)に右京の菅原寺(喜光寺)で死去、生駒山東麓で火葬され、竹林寺(生駒市有里)の境内に葬られるが、この墓誌の残欠はその一部と認められる。形式の整った中国風の墓誌銘の遺例として貴重である。  なお、行基墓は文暦2年に発掘されたのち、埋め戻されているので、現在の遺品はその後に再び掘り出されたものである。


お墓はささやかなものですが、この方がいらっしゃらなければ、奈良の大仏さまも造立できなかったような大僧正が眠る場所です。しっかりと手をあわせておきたいですね。


竹林寺(行基墓)@生駒市-10

竹林寺の本堂に向かって右手20mのところにある、『史蹟 行基墓』。10m四方ほどの墳丘らしいのですが、草が生い茂っているため、ただの藪に見えてしまいます…。宅地化が進んでいる生駒市ですが、この一角はとても静かでした


銅製骨蔵器なども見つかった『忍性墓』

行基の墓の反対側には、叡尊(えいそん)の弟子にあたる、鎌倉時代の僧・忍性(にんしょう。Wikipedia)の墓『忍性墓』があります。

鎌倉時代に戒律を復興させ、社会事業に尽力した名僧で、鎌倉・極楽寺で亡くなった後、遺言により、遺骨は極楽寺、大和郡山市の「額安寺紹介記事)」、そして竹林寺へと分骨されました。

1986年に発掘調査では銅製骨蔵器など36点が発掘され、「竹林寺忍性墓出土品」として重要文化財に指定されています。その際にお墓も建て替えられ、新しいものとなっています。


竹林寺(行基墓)@生駒市-12

竹林寺の本堂に向かって左手50mのほどの場所ある『忍性墓』。忍性(にんしょう)は、鎌倉時代の僧で、西大寺中興の祖・叡尊の弟子に当たります。戒律を復興させ、社会事業に尽力した名僧として知られています。墓は近年に調査の後で建て替えられたもので、以前の墓石はこの画像の右奥に見える小さなものです

竹林寺(行基墓)@生駒市-13
『忍性墓(にんしょうぼ)』の説明文。「鎌倉時代の僧忍性(1217-1303)は、文殊菩薩と行基を信仰し、慈善救済事業に努めた。関東に戒律を広め、鎌倉極楽寺に没した後、遺言により地区臨時、極楽寺、大和郡山市の額安寺に分骨された。墓塔下から銅製骨蔵器など36点(重文)が出土した。」



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■竹林寺

HP: 参考サイト(Wikipedia)
住所: 奈良県生駒市有里町211-1
電話: 0743-77-8030
宗派: 律宗
本尊: 文殊菩薩
創建: 奈良時代(伝)
開基: 行基(伝)
拝観料: 拝観自由
駐車場: あり
アクセス: 近鉄生駒線「一分駅」から徒歩15分ほど


■参考にさせていただきました!

竹林寺 (生駒市) - Wikipedia
行基 - Wikipedia
忍性 - Wikipedia
竹林寺
重要美術品|墓誌断片(奈良県行基墓出土)|奈良国立博物館






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