小さな弥勒菩薩半跏像に会いに行く『野中寺』@羽曳野
『葛井寺』の秘仏「十一面千手千眼観世音菩薩坐像」を拝観した足で、お隣の羽曳野市にある『野中寺(やちゅうじ)』へ行きました(車で数分の距離です)。
野中寺でも、18日には小さな飛鳥時代の銅造仏「弥勒菩薩半跏像(重文)」が公開されているため、合わせて周ることが出来るのが嬉しいですね。
聖徳太子が建立した河内の名刹です
野中寺(やちゅうじ)は、聖徳太子が建立した48寺院の一つとされ、開基は蘇我馬子と伝えられています。飛鳥時代には壮大な伽藍を誇る大寺院でしたが、戦禍などにより焼失。廃寺に近い状態になった時代もあったそうです。
また、「河内三太子」の一つとしても知られており、「叡福寺(上の太子)」「大聖勝軍寺(下の太子)」と並んで、「中の太子」と呼ばれています。
大阪府羽曳野市にある『野中寺』の山門。聖徳太子が発願し、蘇我馬子が建立したという河内の古刹です。過去には「この一帯は全て野中寺の境内だった」というほどの規模だったとか
野中寺を護る阿形さん。江戸時代くらいのものでしょうか。どことなく漫画チックな表情です
野中寺の「本堂」。ご本尊は薬師如来さまですので、こちらにいらっしゃるはずなんですが、のぞき穴から見るだけですので、残念ながらほとんど見えません
野中寺の境内にある「塔跡」。壮大な法隆寺式伽藍があったことが判明しているお寺ですので、もちろん塔もありました。「野中寺旧伽藍跡」として国の史跡に指定されています
野中寺の近くで見つかった「ヒチンジョ池西古墳石棺」。7世紀終わり頃のもので、二上山から切り出された凝灰岩を加工して作ってあるのだそうです
野中寺の本堂脇。この鐘楼の奥手の墓地に「お染・久松の墓所」があるそうです
これが「お染・久松」さんのお墓。跡で調べてみたところによると、歌舞伎や浄瑠璃の有名な演目「お染久松」の主人公さんなんだそうです
毎月18日公開の「弥勒菩薩半跏像」
野中寺のご本尊は薬師如来さまですが、有名なのは、毎月18日に公開される秘仏「弥勒菩薩半跏像(重文)」でしょう。
像高わずか「18.5cm」の小さな金銅仏ですが、台座の銘から「弥勒菩薩像」であること、「丙寅年(666年)」に作られたことが判明している、とても貴重なものとなります。頭部が大きく、まるで子供のような体型で、片足をあげて右手を頬に沿えた「半跏思惟」のポーズをとっています。
普段はしっかりと鍵のついたところに安置されているそうですが、この18日の御開帳の日だけは、小さなお堂に入れられたまま座敷部屋に移動され、手が届くほどの至近距離から眺めることができるのです。
小さい仏像は、遠めに見てもほとんど分からないことが多いのですが、これだけ近くで見られるのであれば、さすがに迫力がありますね。色々と角度を変えて見られますので、台座部分の銘もハッキリと見ることができます。
とても穏やかな表情で、白鳳時代からずっと遺されているものだとは思えないほど、静かで美しい仏さまでした。
正面に見えるのが事務所。拝観の受付を行うのですが、入口の位置が分かりづらいのでお気をつけください。ちなみに、右手に見えるのは「客殿」です
この奥の座敷で、お目当ての「弥勒菩薩半跏像」と会えます。毎月18日の日だけここに移動してきて、普段は厳重に金庫に納められているそうです(「セコムに加入してます」っておっしゃってました!)
河内の「秘仏巡り」をお楽しみください
野中寺の境内には、過去に沢山の僧が修業に励んでいた僧坊なども残されていますが、決してそれほど見どころが多い訳ではありません。しかし、「弥勒菩薩半跏像」に会いに行くだけでも十分に価値があると思いますので、毎月18日のご開帳日に合わせて、「葛井寺」「道明寺」と一緒に周ってみてください。
合わせて拝観できる「地蔵堂」の様子。それほど大きくないお地蔵さんがいらっしゃいました
僧たちが修業や勉学に励んでいた「沙弥寮」という建物。僧侶達の勉学の場として栄えていた時の建物です
野中寺のお庭の様子。それほど広いものではありませんでしたが、こんな立派な松なども植わっていました
野中寺でいただいたご朱印です。ご本尊の「薬師如来」の文字が見えます
■野中寺(青龍山)(別名:中の太子)
HP: 参考サイト:Wikipedia
住所: 大阪府羽曳野市野々上5-9-24
電話: 0729-53-2248
宗派: 高野山真言宗
本尊: 薬師如来
創建: 650年頃
開基: 蘇我馬子(伝)
拝観料: 境内自由(弥勒菩薩半跏像の拝観は300円)
拝観時間: 境内自由
駐車場: 無料駐車場あり
アクセス: 近鉄「藤井寺駅」から循環バスで5分、「野々上」バス亭下車
※「弥勒菩薩半跏像(重文)」は、毎月18日のみ公開されます(9:30-16:00)
※西国薬師四十九霊場の第14番札所