近江を代表する壮大な古刹『三井寺』@滋賀県大津市
西国三十三所の秘仏ご開帳巡りのため、滋賀県大津市にある『三井寺(長等山園城寺)』へ行ってきました。
歴史上でも重要な役割を果たしてきた近江の古刹ですので、かなり期待していたのですが、とにかく檜皮葺きの建物も、数多くの仏像も素晴しいですね。奈良や京都のお寺とはまた違った美しさを感じました!
比叡山と並び、歴史上重要なお寺です
滋賀県大津市にある『三井寺』は、正式には「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山です。東大寺・興福寺・延暦寺・三井寺(園城寺)を称して「本朝四箇大寺」と呼ばれた時代もあったほどの古刹です。
三井寺の創建には、古代史最大の内乱「壬申の乱」が深く関わっています。667年、近江大津に遷都した中大兄皇子は、翌年即位して天智天皇に。その後継争いのため、弟の大海人皇子と、息子の大友皇子が皇位を争う壬申の乱が勃発し、大海人皇子が勝利。後の天武天皇となります。
大友皇子の子・大友与多王は、父の菩提を弔うため、天智天皇が所有していた念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺院の建立を発願し、686年、天武天皇に許可され「園城寺」という寺号を与えらました。
なお、三井寺という名称は、境内に湧いている井戸の水を天智・天武・持統の三帝が産湯に使ったちう言い伝えから「御井の寺」と呼ばれたことに由来しています。
そして858年、比叡山で修行を行った後、唐に渡った「智証大師円珍」は、帰国後に三井寺に唐院を建立。唐より持ち帰った大量の経典などを納めました。三井寺は顕教・密教・修験道の兼学道場として発展し、比叡山延暦寺と肩を並べるほどの大寺院となっていきます。
円珍の没後、比叡山内では激しい対立が起こり、武力衝突まで起こるようになります。円珍の一派は比叡山を下りて三井寺を拠点とし、これ以降、比叡山を「山門」、三井寺を「寺門」と呼ぶようになります。
この対立は中世末期まで続き、三井寺は比叡山修徒によって50回以上も焼き討ちにあっているそうです。また三井寺側も兵力を蓄えてこれに対抗し、両派ともに、歴史上でも重要な場面で登場するまでの兵力となっていきました。
源頼朝・足利尊氏・豊臣秀吉・毛利輝元など、歴史上の重要人物との関わりも深く、別院「法明院」には、明治期に日本美術の振興・保護に尽力したフェノロサ、ビゲローの墓もあります。
檜皮葺きの屋根が美しい「仁王門」
三井寺は、琵琶湖畔に建つ堂々とした古刹です。滋賀県の紅葉の名所としても有名で、駐車場も広々。この日もたくさんの方が参拝にいらっしゃっていました。
まず真っ先に目に入ってくる「仁王門(重文)」は、1452年の建立。堂々とした仁王像も素晴しいのですが、何よりも「檜皮葺き(ひわだぶき)」の屋根の軒反りが見事です!三井寺の本堂にあたる「金堂」も同様ですが、檜皮葺きらしい軽やかで伸びやかな印象を受けます。
やはり奈良には瓦葺きの建物が多いため、これだけでも新鮮に見えますね。
比叡山延暦寺と並ぶ、滋賀の古刹『三井寺(園城寺)』。過去には幾度となく延暦寺の門徒らと武力衝突を繰り返してきました。檜皮葺きの堂々とした「仁王門(重文)」は、1452年の建立。三井寺では、反り返った檜皮葺の軒が見事な建築物がいくつも見られます
三井寺の仁王門の組物。斜めに梁が伸びている様式は、他ではあまり見た記憶がありません
仁王門をくぐったところ。境内は広々としていて、グルッと1周するだけでもそれなりに時間が掛かります
三井寺の境内案内図。琵琶湖からも程近い開けた土地に建っているため、境内を歩くにはそれほど体力も使いませんが、距離的にはかなり歩くことになります
仁王門をくぐってすぐ右手にある「釈迦堂(重文)」。室町初期の建築で、かつての食堂の様式を伝える・・・とありましたが、残念ながら修復工事中。ご本尊の、清涼寺式の釈迦如来立像は拝見できました。独特の衣装のドレープがやや少なめな印象です
三井寺の手水舎。ベーシックな龍タイプですが、何故かガッチリと鉄製の囲いに覆われていました。そんなにイタズラされやすいものなんでしょうか?
本堂の「金堂」には仏様が多数!
三井寺の総本堂となる「金堂(国宝)」も、檜皮葺きが美しい、堂々とした建物でした!
また、本堂内部には内陣の外壁に沿って、素晴しい仏像がズラリと展示されていて圧巻です。歴史ある大寺院ならではの質とボリュームでしょう。ただし、金堂のご本尊天智天皇の念持仏として伝わる、身丈三寸二分の「弥勒菩薩像」ですが、こちらは一切公開されない「絶対秘仏」となっています。
三井寺の仏像に関しては「みうらじゅん・いとうせいこう TV見仏記2 滋賀/奈良編」で詳しく撮影されていたので、その姿は何度も見ています。
正統派(?)の美しい仏様も多いのですが、凛々しい表情の「大黒天半跏像」、いとうせいこう氏が興奮していた「尊星王立像(別名:妙見菩薩)」、頭上に竜をいただいた「善女竜王像」、独特の「走り大黒」などなど、やや独特な仏像も多く面白かったですね。
また、八体の「円空仏」もいらっしゃったり、時代的にも造形的にも、本当にバラエティーにとんだお堂でした。
三井寺の総本堂となる「金堂(国宝)」。北政所によって1599年に再建されたものです。檜皮葺きの屋根が軽やかで、反り返った軒がとにかく美しい!「桃山時代を代表する名建築」と呼ばれている素晴しい建物でした
全体的に色合いが渋くていいですね。組物や菱欄間なども見事ですが、軒を支える垂木がすらりと長く伸びていて、瓦葺きの建物には見られないしなやか印象でした
境内にあった池越しに眺めたところ。軒先の反り具合がはっきりと分かります
「音風景百選」に選ばれた鐘も撞けます
金堂の周辺には、左甚五郎作とされる龍の彫刻でも有名な「閼伽井屋(あかいや)」があります。ここに湧き出る水を三帝が使用したと伝わる泉が湧き出しているのですが、ゴボゴボッとものすごい音が響いていました。
また金堂の前方には、「三井の晩鐘」と呼ばれる、音色が美しい梵鐘があります。「音風景百選」にも選ばれているほどの鐘なんですが、これは隣接する売店風の窓口で申し込みすると、誰でも撞くことができます(冥加料300円!)。
その場に居合わせた男性が鐘を撞いていたため、その音色を聞くことが出来ましたが・・・、私には音の違いはサッパリ分かりませんでした(笑)
本堂脇にある「閼伽井屋(あかいや)」。天智・天武・持統の三帝が誕生した際に産湯に使った・・・という霊泉が湧いています。また、左甚五郎作とされる龍の彫刻もありますので、お見逃し無く!
近江八景の「三井の晩鐘」として知られる梵鐘がある「鐘楼(重文)」。1602年の再建です。日本三銘鐘の一つとされ、「音風景百選」にも選ばれています。そんな鐘も、すぐお隣の建物で冥加料300円を支払えば誰でも撞くことができるそうです!
「弁慶の引き摺り鐘」や三重塔など
金堂から少し高い位置にあるのが、「弁慶の引き摺り鐘」伝説で知られる梵鐘を祀った「霊鐘堂(重文)」です。そのすぐ上には、美しい建築物の「一切経堂(重文)」や、開祖・智証大師円珍が開き、廟所にもなっている「唐院(重文)」が続きます。
とにかく、いずれもとても美しい建物ばかりですし、様々なエピソードも残されています。じっくりと見て周るとかなり時間が掛かりますのでご注意ください。
金堂から少しだけ高い位置にある「霊鐘堂(重文)」。奈良時代の梵鐘で、百足退治のお礼に竜宮から持ち帰られた伝説の鐘が祀られています。またこの鐘は、あの弁慶が比叡山へ引き摺っていった後、谷底へ投げ捨てた「弁慶の引き摺り鐘」としても知られています
三井寺の「一切経堂(重文)」。1602年に毛利輝元によって、山口県・国清寺より移築・寄進されたもの。屋根は宝形造りで、禅宗形式となっています。軒の反りと細やかな欄間が美しいですね。ちなみに、1階の屋根に見えるのが大きな裳腰で、1階建てです
三井寺の「一切経堂」の内部。小さなブリキ缶のようなものに収められているのは「一切経」。八角形の立派な「輪蔵」です。回転式とのことですが、こんな巨大なものが本当に回転するんでしょうか?
三井寺の「唐院(重文)」と呼ばれる一角。開祖・智証大師円珍の廟所です。奥手に見えるのが1601年に徳川家康から寄進された「三重塔」。手前に見えているのが「潅頂堂」で、その隣に「護摩堂」が、裏手には「大師堂」が建っています
別所「微妙寺」はご本尊が出張中で・・・
三井寺の別所「微妙寺」には、平安初期の素朴な「十一面観音(重文)」がいらっしゃるのですが、この日は大津歴史博物館の催しのためお留守でした・・・。
脇にいらっしゃった金箔がまばゆい真新しい千手観音像は、かなりアジア的というか、インド的というか、広げたたくさんの手が円形光背のように広がり、それが縦に重なる・・・という、かなり変わったお姿でした。このスタイルは他にはなかなかいらっしゃらないでしょうね。
三井寺の別所の一つだった「微妙寺」も参拝順路に建っています。湖国十一面観音霊場の第一番札所となっていて、平安初期の十一面観音(重文)がいらっしゃるのですが・・・、この日は大津歴史博物館へ出張中でお留守でした。残念・・・。
三井寺の境内はほぼ平坦ですが、こんな道を歩いたりしますので、それなりに距離があります。また、至るところにモミジが植えられていますので、紅葉シーズンには素晴しい景色となるんでしょう
31年ぶりの御開帳!札所「三井寺観音堂」
こうして歩いていくと、ようやく西国三十三所観音霊場の十四番札所「三井寺観音堂」に到着します。
こちらのご本尊は、平安時代後半の作の「如意輪観音座像(重文)」。33年に一度しか公開されない秘仏ですが、今回は花山法皇の千年忌を記念して、予定を2年前倒しし、31年ぶりの開扉となりました!
この如意輪様は、像高は91.5cmとそれほど大きなものではありません。智証大師が感得し自ら彫ったとも、唐から持ち帰った像だとも言われているそうです。如意輪さんらしく六臂(腕が六本)となっていますが、厨子の中にいらっしゃるので、全体がよく見えないのが残念でした。
ただし、秘仏だけに美しい紋様や金属の飾り細工までよく残っているのが分かります。穏やかな表情のとても美しい像でした。脇侍の毘沙門天と愛染明王も雰囲気がありましたし、お堂の内部の様子も良かったですね。
この石段を上がると、西国三十三所観音霊場の十四番札所「三井寺観音堂」が見えてきます。それほど厳しい石段ではないのでご安心ください!
三井寺の「観音堂(県指定文化財)」。西国十四番札所であり、平安時代の「如意輪観音(重文)」を祀っています。三十三年ごとにしか開扉しない、貴重な秘仏です!
観音堂前から。手前に礼堂があり、その先に合いの間、仏像を祀る正堂と続く、やや変わった雰囲気の建物でした。内陣の奥まで進み、ご本尊を目の前で見ることができましたが、お堂全体の雰囲気がいいんですよね。失礼な言い方ですが「最高の舞台装置」になっていました!
ご本尊御開帳のポスターに写っていた如意輪観音さま。これはお前立を写したものかもしれませんが、秘仏だけに状態もとてもきれいで、穏やかな印象の素晴しい仏様でした。ただし、お厨子の中にいらっしゃるので、全体は見えなかったのが残念でしたが・・・
観音堂の周囲には諸堂が並び、伽藍を形成しています。これは百体の仏像を祀る「百体観音堂」。右手に見える鮮やかな絵は、この地方独特の「大津絵」。「TV見仏記2」で、ここの前で大津絵のトークが盛り上がっていたのを思い出しました(笑)
三井寺の観音堂前にある「絵馬堂」。もう絵馬は全く見えません。そのすぐ隣には売店などもあり、数多くの参拝客が訪れることを伺わせています
絵馬堂近くからの眺め。この日はかなりお天気が悪かったのですが、はっきりと琵琶湖が見えました。また、近くに小学校があるらしく、ずーっと子供たちの大きな声が聞こえていたのも、ちょっと不思議な感じでした(笑)
とにかく見どころが多い大寺院です!
観音堂から駐車場方面への順路には、西国薬師四十九霊場の札所になっている「水観堂」なども建っていますので、ぜひそちらもご覧ください。
三井寺は境内も広いですし、見どころも多いお寺ですので、とにかく楽しかったですね。かなり急いで見て周ったつもりだったんですが、あっという間に2時間以上が経っていたくらいでした。
今回はご紹介しきれなかった見どころも多く、別院「法明院」にあるフェノロサのお墓には、いつかぜひお参りしてきたいと思っています。紅葉シーズンになると、またさらに見事な眺めとなると思いますので、ぜひお出かけください!
観音堂から駐車場へ戻る途中にある「水観堂」。1655年の建物です。薬師如来を祀り、西国薬師四十九霊場の第四十八番札所となっています(最後の四十九番札所は延暦寺)。薬師さんのお姿は、かなりベーシックなタイプでした
■三井寺(長等山 園城寺)
HP: http://www.shiga-miidera.or.jp/
住所: 滋賀県大津市園城寺町246
電話: 077-522-2238(代表)、077-524-2416(札所)
宗派: 天台寺門宗
本尊: 如意輪観音(重要文化財)
創建: 672年
開基: 大友与多王
拝観料: 500円
拝観時間: 8:00-17:00
駐車場: 有料駐車場あり(500円)
アクセス: 京阪電鉄 石山坂本線「三井寺駅」下車、徒歩7分
※西国三十三所の第14番札所
※三井寺「光浄院客殿」「勧学院客殿」は、一人各600円の志納金を納めれば、特別拝観が可能です(要事前予約!)