2011-08-08

第34代天皇『舒明天皇陵(押坂内陵)』@桜井市

第34代天皇『舒明天皇陵(押坂内陵)』@桜井市

桜井市忍阪にある、第34代天皇『舒明天皇陵』へお詣りしてきました。古くからその名前が知られる忍阪(おっさか)の集落で、静かに厳かに眠っていらっしゃいました。


皇極帝の夫、天智・天武両帝の父上です

舒明天皇(じょめいてんのう)(Wikipedia)とは、日本の第34代天皇です。

先代の第33代・推古天皇が崩御する際(628年)、聖徳太子の御子であるとされる「山背大兄王」と、後の舒明天皇である「田村皇子」、2人の次期皇位継承の有力な候補者がいました。後継を巡って争いが起こった結果、蘇我氏の後押しを受けた田村皇子が即位します(山背大兄王が襲撃されて自害に追い込まれるのは、さらに後の643年です)。

実際のところ、天皇として大きな実績を成し遂げた方ではありませんが、皇后の宝皇女は、後の皇極天皇(および斉明天皇)に。その間に生まれた中大兄皇子は大化の改新を成し遂げ、後の天智天皇に。その弟の大海人皇子は、壬申の乱に勝利して、後の天武天皇に。この時代のロイヤルファミリーの礎を築いた方となりました。

また、万葉集のファンにとっては、冒頭こそ第21代・雄略天皇に譲ったものの、万葉集の第1巻の2首目を飾る、飛鳥の香具山から国見の歌を詠った方として知られています。

大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ
天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は
煙立ち立つ 海原は 鴎(かまめ)立ち立つ
うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は
舒明天皇 万葉集 巻第1-2
大和には群がる山々があるけれども、中でも精霊のとりわけ神々しくよりつく天の香久山、この山の頂きに出て立って国見をすると、国原にはけむりが盛んに立ちのぼっている。海原にはかもめが盛んに飛び立っている。ああよい国だ。蜻蛉島(あきづしま)大和の国は。

舒明天皇の即位が629年。この辺りから万葉の時代が本格的に幕を開けたとされており、様々な意味で礎になった方なのです。


忍阪の集落に静かに葬られていました

舒明天皇が葬られた「押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)」(古墳名:段ノ塚古墳)は、7世紀に作られた上円下方墳です。この桜井市忍阪(おつさか)は、父である第30代・敏達天皇ゆかりの土地であったため、母である「糠手姫皇女(ぬかでひめのひめみこ)」と合葬されたようです。

166号線から裏道へ入ったところに忍阪の集落があり、その突き当たりのような場所に舒明天皇陵はありますが、とても静かで落ち着く場所でした。今でこそ中心部から遠く離れてしまいましたが、この辺りは古くから拓けた土地であり、その当時の様子を想像してみるのも面白いですね。

白く美しい石段と遥拝所が、生い茂る緑と青い空に映えて、とても美しい陵でした。アクセスは大変ですが、比較的近い場所にある、額田王の終焉の地と伝わる「粟原寺跡」と合わせて回ってみるといいでしょう。


舒明天皇陵@桜井市-01

桜井市忍阪にある『舒明天皇陵』(押坂内陵)。忍阪の静かな集落の奥にあります。真っ白い石段が美しい陵でした

舒明天皇陵@桜井市-02
舒明天皇陵の遥拝所の様子。深い山の中にあるため、周囲を歩いたりはできません。正面からお参りするのみです

舒明天皇陵@桜井市-03
遥拝所前

舒明天皇陵@桜井市-04
墳丘の形は「上円下方墳」とのことですが、目視ではもちろん、航空写真でも分かりづらいようです

舒明天皇陵@桜井市-05
舒明天皇陵から、忍阪の集落の眺め。山深い静かな場所にいらっしゃいます



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■舒明天皇陵(押坂内陵)

HP: http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/034/index.html
住所: 奈良県桜井市大字忍阪
駐車場: あり
アクセス: 近鉄・JR「桜井駅」から、菟田町行きバス「忍阪」バス停下車、徒歩約5分


■参考にさせていただきました!

舒明天皇 - Wikipedia
舒明天皇陵
舒明天皇陵






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