2013-11-05

暗殺された崇峻天皇の陵墓か?『天王山古墳群』@桜井市

暗殺された崇峻天皇の陵墓か?『天王山古墳群』@桜井市

暗殺された崇峻天皇の本当の陵墓と目される、桜井市倉橋の『天王山古墳』。複数の古墳が集まる群集墳で、天王山1号墳・3号墳は、横穴式石室の中へ入ることができます。暗い・汚れる・虫や蛇がいると、ちょっとした探検になりますので、準備と覚悟をして見学へ向かいましょう!


巨大な方墳。石棺が遺された石室に入れます

桜井市倉橋にある国指定史跡『天王山古墳』(または赤坂天王山古墳)。いくつかの古墳が集まって「天王山古墳群」と呼ばれる群集墳になっており、遠目からは小山のように見えます。

中心となるのは、古墳時代後期(6世紀末)の大型の方墳「天王山1号墳」です。一辺約45m×高さ約9m、3段築成の大型方墳となります。

ここは大きな横穴式石室が南に面して開口していて、内部に入れるようになっています。花崗岩を用い、玄室-長さ約8.5m×幅約3m×高さ約4.2m、羨道-長さ約8.5m×幅約1.8m×高さ約2mという大きさ。さらに、内部には二上山で採取された凝灰岩を用いた刳貫式家形石棺が置かれています。


天王山古墳群@桜井市-01

桜井市倉橋の史跡『天王山古墳』。小山に見えますが、大型方墳「天王山1号墳」を中心とした群集墳です。周りは畑が広がるのどかな場所。車で移動の方は、比較的近い場所に「舒明天皇陵」などもありますので、合わせてどうぞ


第32代・崇峻天皇の本当の陵墓の可能性も

石室に入ることができて、しかも石棺が遺されているというだけでも貴重な天王山1号墳ですが、「崇峻天皇(すしゅんてんのう)」(Wikipedia)の陵墓である可能性が高いとされています。江戸時代に崇峻天皇陵として治定されていましたが、明治にそれが取り消されているんですね。


現在、崇峻天皇陵は、倉梯柴垣宮の旧地と伝えられてきた小字「天皇屋敷」(桜井市倉橋)にある。同地に、崇峻天皇の位牌を祀る金福寺があったことから、陵地として決定したという。1876年(明治9年)、奈良県十市郡倉橋村にあった雀塚と呼ばれる古墳が一旦崇峻天皇陵として治定されたが、1889年(明治22年)に現在の陵に改定された。

ただし、根拠には乏しいといい、近年では、桜井市倉橋にある巨大方墳、赤坂天王山古墳を崇峻陵とする森浩一の見解が有力視されるようになっている。同古墳は6世紀末から7世紀初頭に築造された方墳で、東西45.5m、南北42.2m、高さ約9.1m、全長17mの横穴式石室を持つ。


物部守屋が推す穴穂部皇子と争った末、時の実力者・蘇我馬子の推挙によって第32代・崇峻天皇(在位587年~592年ごろ)として即位した泊瀬部皇子(はつせべのみこ)は、後に仲違いし、儀式の席で東漢駒の手によって暗殺されてしまいます。臣下によって天皇が殺害されるという異常事態でした。

通常であれば、天皇の陵墓は宮内庁によって厳重に管理されるため、敷地内へ立ち入ることなど不可能ですから、天王山1号墳はそういった面でも貴重なのです。


史跡 天王山古墳(昭和29年3月17日指定)

東南方から北西方にのびる尾根上に営まれた方墳で、この尾根上には他にも多数の小古墳が散財している。墳丘の一辺は約45m、高さ約9mを測り、うちに家形石棺を蔵する雄大な横穴式石室が南に開口している。石室は巨大な花崗岩を架構したもので、玄室の長さ約8.5m、幅約3m、高さ約4.2m、羨道の長さ約8.5m、幅約1.8m、高さ約2mである。玄室の中央には。棺身の長さ約2.4m、幅約1.2m、身蓋を合わせた高さ約1.8mの巨大な刳貫式の家形石棺が置かれている。なおこの棺身の羨道に面した側の上辺中央に方形小孔が彫り込まれているのが注意される。副葬品については明らかでないが、石室や石棺の型式から6世紀後半に築造されたものと推定される。

この古墳はその名の示すごとく、江戸時代には崇峻天皇陵に擬せられていたもので、墳丘や石室の規模からも。大化前代の支配者層の墳墓と考えられる。近畿地方における古墳時代後期の代表的な方墳として著名である。

現地の説明より

天王山古墳群@桜井市-02
現地の説明を読んでいると、その隣の「まむしに注意」の看板に目がいきます。この日、実際にマムシらしき蛇を見かけましたので、くれぐれもご注意を!

天王山古墳群@桜井市-03
あぜ道のようなところを通って奥へ。看板からすぐのところに横穴式石室が開口しています


土に埋まりかけた石室は真っ暗、泥で汚れます

天王山古墳1号墳の石室ですが、かなり土に埋まっていて小さく開口しているだけなので、油断しているととても石室の入り口には見えません。内部もかなり狭く、天井まで数十センチしかありません。大人がめいっぱい身をかがめてかろうじて奥へ進める程度でした。

この日はいいお天気でしたが、頭上の石は湿っていましたし、手や膝が泥だらけになってしまう可能性も高いですから、必ず汚れてもいい格好で行きましょう。

また、スマホのライトがあれば十分だと油断していたため、特にライトなどは持って行きませんでしたが、これも失敗でした。中は何も見えないほどの暗闇ですから、大きなライトを持参するといいでしょう。

そこまで頑張って入った石室ですが、ちょっとしたアドベンチャーですね。とにかく暗いですし、周囲の石積みの隙間には、虫はもちろん、蛇だって住んでいるでしょう。私は比較的その手のものは平気なんですが、ここはさすがにあまり気分が良いものではなく、あまりじっくりと観察する余裕もなく出てきました。

しかし、頑張って奥の玄室へと進むと、天井が高く立派な作りであることが分かります。目の前に大きな家形石棺があり(盗掘痕らしき孔も)、そこに崇峻天皇が葬られていた可能性もあるかと考えると、感激したり怖くなったり恐れ多かったり、色々と複雑な気分になりました。


天王山古墳群@桜井市-12

天王山古墳群・天王山1号墳の石室開口部。かなり埋まってしまっていて、驚くほど狭くなっています。暗がりや霊的なもの、虫類や土汚れが苦手な方は決して近づかない方がいいでしょう

天王山古墳群@桜井市-13
横穴式石室の入口部分から撮影したところ。奥は真っ暗!羨道の長さは約8.5m、その奥の玄室も同じ長さがありますが、まったく見えません

天王山古墳群@桜井市-14
身をかがめて羨道へ入り、入口側を振り返ったところ。フラッシュを灯して撮影してみると、天井の低さが分かります。身をかがめてようやく進める程度で、帰りは膝が泥で汚れましたし、湿った天井石に背中が当たって濡れてしまいました

天王山古墳群@桜井市-15
フラッシュを使わないとこの暗さです。両脇の石積みの間から何か出てくるんじゃないかと、さすがに怖かったです

天王山古墳群@桜井市-16
玄室へと進んで撮った一枚。大きな刳貫式家形石棺がありました。石室内はかなり広く、かなり見応えがあったのですが、暗いこともあってまともに写っていたのはこれくらいでした。明るいライトを持って行きましょう!

天王山古墳群@桜井市-04
天王山古墳は周りを歩けるようになっています。なだらかな丘のようになっていて方噴であることは判別しづらいですが、一辺が約45mという大きさは実感できました


近くの「天王山3号墳」は入りやすいです

実は、順番は逆になりますが、天王山1号墳よりも先に、向かって左手にある「天王山3号墳」へと入っていました。こちらは径約20m×高さ約4.5m、2段築成円墳で、比較的まだ石室内へ入りやすくなっています。

石棺はありませんし、すぐ隣に巨大古墳があるため小さく感じますが、「羨道-長さ約6m×幅1.7m、玄室-長さ約4.3m×幅約2.5m×高さ約2.6m」と、奥行きが10mを超え、玄室の両側石が内側に倒れこんできていて、かなりの迫力でした。

ただし、ここもかなり暗いのでライトは必携です。また、石室の内部はカマドウマやクモだらけでしたし、脇の石積みに蛇(おそらくマムシ)の姿なども見かけたりしましたので、見学の際はくれぐれもご注意ください!


天王山古墳群@桜井市-05

天王山1号墳の近くにある、いかにも円墳という姿をした「天王山3号墳」。この周囲にもさらに他の小さな古墳が点在しているそうです

天王山古墳群@桜井市-06
南側を向いた開口部。かなり土で埋まってきていますが、大人でも十分に入れる高さです

天王山古墳群@桜井市-07
石室の入口から。ここももちろん真っ暗ですから、ライトはお忘れなく。奥行き10mほどです

天王山古墳群@桜井市-08
スマホのライトで照らしながら奥へ進んでみました。この直前に蛇を発見してしまったので、(天井が低いこともありますが)腰が引けてます。こちらは石が濡れていたりすることもなく、入りやすいコンディションでした

天王山古墳群@桜井市-09
羨道の途中から。大小の石を積み重ねています。よく1400年も崩れずに遺っているなと感心してしまいますね!

天王山古墳群@桜井市-10
天王山3号墳の玄室。高さは約2.6mの立派なサイズでした。色んな大きさな石が積み重なっていて、それが内傾しているため、見ていてかなり怖かったです

天王山古墳群@桜井市-11
現地の説明の看板がほとんど朽ち果てていてはっきりしませんが、おそらくこれが「天王山2号墳」の開口部だと思います。一辺が約25mの方墳で、これだけ埋まってしまうとさすがに石室内には入れません


宮内庁が治定する「崇峻天皇陵」も近くです

なお、天王山古墳群からわずか2kmほどの位置に、崇峻天皇の「倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)」とされる陵墓があります。小さな円墳であり、現在は多くの方が「本当の崇峻天皇陵はここではなく天王山1号墳だ」と考えているのですから、不思議なものですね。車であれば気軽に行けますので、ぜひ合わせてお詣りしてみてください。


天王山古墳群@桜井市-17

桜井市倉橋にある「崇峻天皇 倉梯岡陵」。以前にお詣りした際の写真です。国宝の美しい十一面観音立像を祀る「聖林寺」の近く、県道37号線から少し入った場所にあります

天王山古墳群@桜井市-18
陵墓の様子は遠目からでよく見えません。すぐ近くに崇峻天皇の位牌を祀る金福寺があったことから、明治時代にここへ改定されたのだとか。それが正しいかどうかはともかく、とても静かないい場所です



大きな地図で見る


■天王山古墳群

HP: 参考サイト(Wikipedia)
所在: 奈良県桜井市倉橋
アクセス: 近鉄大阪線「大和朝倉駅」より徒歩30分強


■参考にさせていただきました

天王山古墳
赤坂天王山古墳 - 古墳マップ
赤坂天王山3号墳(あかさかてんのうざん3号墳) 大和の古墳探索
崇峻天皇 - Wikipedia


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