2013-05-12

奈良時代の左大臣が眠る『橘諸兄公墓』@京都府井手町

奈良時代の左大臣が眠る『橘諸兄公墓』京都府井手町

奈良時代の左大臣「橘諸兄(たちばなのもろえ)」が眠る、京都府綴喜郡井手町の『橘諸兄公墓』へお参りしてきました。静かな竹林の奥、とても美しい場所に埋葬されています。
橘諸兄は、聖武天皇を補佐して恭仁京遷都・大仏建立などを取り仕切った、奈良時代の有能な政治家です。この時代の歴史がお好きな方は、ぜひ手を合わせにきてください!


「井手の左大臣」ですから、井手町ゆかりの方です

奈良時代に左大臣の要職まで上り詰めた「橘諸兄(たちばなのもろえ)」公(Wikipedia)。その当時の日本の国を動かした人物であり、奈良時代ごろの歴史に興味を持っている方にはお馴染みの名前ですが、一般的な知名度はそれほど高くないかもしれません。

私自身、聖武天皇が遷都した都「恭仁京(くにきょう)」が、時の権力者であった橘諸兄の本拠地に近いところに築かれたことは知っていましたが、それ以上のことは調べたことはありませんでした。


橘諸兄は、現在の綴喜郡の井手町Wikipedia)に別荘を持つなどしていたため「井手の左大臣」と称されていました。万葉集の編纂にも関わったとされているため、現在の井手町でも「橘諸兄文学賞」などが開催されているほど、今なお尊敬を集めています。

橘諸兄の墓所も、もちろん井手町にあります。おおよその住所は「井手町井手南開」。近くには老人ホームなどがありますが、のどかな農道からさらに細い道を入った先になります。奥に工場の資材置き場があるようですから、車でも入れますが、道幅はかなり狭いのでお気をつけください。


橘諸兄公墓@京都府井手町-01

のどかな農道の脇に現れる「橘諸兄公旧趾」の目印。先へ進むのが不安になるような細い道ですが、後から地図を見たらグルリと一周できるようになっているようです

橘諸兄公墓@京都府井手町-02
両脇は美しい竹林になっています。タケノコは井手町の特産品になっているのだとか。こんな道を200メートルほど進むとお墓につきます


よく手入れされた竹林の中に静かに眠っています

竹が密集した小山が現れ、石段の脇に「井出左大臣 橘諸兄公旧趾」と書かれた石碑などが建っています。石段は数十段しかありませんので、大して疲れることもなく上れます。頂の部分は開けていて、とてもきれいに保たれていました。地元の方がしっかりと管理なさっているんでしょうね。

ここには石碑と石塔が建っており、このような説明文がありました。


橘諸兄公由緒

公は天武13年(684)生。父・美努王、母・県犬養三千代、敏達天皇五世の孫、光明皇后の異父兄である。本の名は葛城王、のち母の氏を賜って橘諸兄、井手に住して井手左大臣と号す。天平10年(738)より右大臣、同15年(743)左大臣となり、天平勝宝8年(756)致仕するまで奈良時代の全盛期を首班として生きた大官である。この間に聖武天皇の相楽別業(諸兄の井手にあった別荘)・玉井頓宮への行幸・恭仁京遷都・大仏建立・開眼供養などがあった。

また、この血には別業のほか、井堤寺を建立。清涼な玉川を愛し山吹を植え続けたので、多くの文学に見える「名所井手の里」を生み出した。聖武上皇崩御翌年の天平勝宝9年(757)正月6日薨す。齢74。

現地の石碑より

これも踏まえて、簡単に橘諸兄の足跡と功績をまとめておきます。

・敏達天皇の5世という皇族でありながら臣下に下り、藤原四兄弟が疫病によって亡くなってしまった後、朝廷の中心的人物となり、左大臣にまで登りつめる
・母は、後に藤原不比等と再婚する「橘三千代」。光明皇后とは同母から生まれている
・聖武天皇を補佐し、恭仁京遷都・大仏建立などを取り仕切る
・万葉集の選者の一人とも言われている
・藤原仲麻呂(恵美押勝)によって引退へ追い込まれ、諸兄が亡くなった同年、息子が「橘奈良麻呂の乱」を起こすが失敗


このような偉人であることを踏まえながら、ぜひ手を合わせてください。奈良時代の歴史に興味が無い方にとっては、あまり楽しいところではないと思いますが、お好きな方はぜひ!


橘諸兄公墓@京都府井手町-03

竹が生い茂った小山に、こんな石段があります。ここが「井出左大臣 橘諸兄公旧趾」です。頂上が見づらいので不安になりますが、ほんの数十段の短い石段ですのでご安心ください

橘諸兄公墓@京都府井手町-04
頂の部分の様子。石碑と石塔が立っています。竹やぶの中なので管理が大変だと思いますが、とてもきれいに維持されていました

橘諸兄公墓@京都府井手町-05
「橘諸兄公旧趾」と書かれた大きな石碑。手前には橘諸兄についての説明があります

橘諸兄公墓@京都府井手町-08
供養塔です。正面には「為井出左大臣 正一位朝臣 橘諸兄公供養塔」、側面には「天平勝宝九年正月六日薨去 七十四歳」とありました

橘諸兄公墓@京都府井手町-09
下から見上げたところ。竹林ならではの美しさですね

橘諸兄公墓@京都府井手町-10
石段の前はこんな感じになっています。路肩に車を停めるくらいの余裕はありますね



より大きな地図で 橘諸兄公墓 を表示


■橘諸兄公墓

HP: 参考サイト(Wikipedia)
所在地: 京都府綴喜郡井手町井手南開
駐車場: 路肩にわずかに駐車できるスペースがありました
アクセス: JR奈良線「玉水駅」より、徒歩約20分


■参考にさせていただきました

橘諸兄 - Wikipedia
橘諸兄の墓(京都府井手町)


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