2016-11-26

悪行三昧だった天皇のお墓?『武烈天皇陵』@香芝市

悪行三昧だった天皇のお墓?『武烈天皇陵』@香芝市

日本書紀に「多くの悪業を行われ人民はみな恐怖に震えた」と書かれた、第25代・武烈天皇。妊婦の腹を割いたり、殺人を見て楽しんだり、その人格を貶める記述がありますが、これは創作だと考えられます。そんな事情を思い浮かべながら、香芝市今泉にある御陵にお参りしてきました。合わせて同じ香芝市にある第23代・顕宗天皇陵もご紹介します。


武烈天皇への恐怖にみな慄いた?

日本の長い歴史の中で、悪行三昧で暴虐の限りを尽くしたとされる天皇が存在します。それは第25代・武烈天皇(ぶれつてんのう)(Wikipedia)です。

在位は仁賢天皇11年(498年)~武烈天皇8年(506年)の8年間。都は「泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや)」で、桜井市出雲の十二柱神社に石碑が建っています。

公式の史書・日本書紀には、武烈天皇が在位中に犯した行為の数々が描かれています(※刺激が強いので、苦手な方は読み飛ばすようにしてください)。

日本書紀に「しきりに多くの悪業を行われ、一つの善業も修められなかった。およそすべての酷刑で、ご自分でご覧にならないものはなかった。国内の人民はみな恐怖に震えた」(即位前紀)
妊婦の腹を割いて、その胎児をご覧になった。(二年九月条)
人の生爪を抜いて、山芋を掘らせられた。(三年十月条)
人の頭髪を抜いて、梢を登らせ、樹の根元を斬り倒して、登っていた者を落として殺すのを楽しみとされた。(四年四月条)
人を池の堤の樋に伏せて入らせ、外に流れ出るのを、三叉の矛で刺し殺すのを楽しみとされた。(五年六月条)
人に樹を登らせ、弓で射落としてお笑いになった。(七年二月条)
女を裸にして平板の上に坐らせ、馬を面前に引き出して交接させた。女の陰部を見て、潤っているものは殺し、潤っていないものは召し上げて官婢(つかさやっこ)とし、これを楽しみとされた。この頃に池を掘って大きな園を作り、鳥や獣を盛んに飼った。また狩を好み、犬を走らせて馬と競わせられた。出入りは時を選ばず、大風・大雨もかまわれなかった。衣服は温かくして、人民の凍えることを忘れ、食事は美味で天下の飢えることを忘れられた。大いに道化・俳優(わざおぎ)を用いて華やかな音楽を奏で、珍しい遊戯を催して、亡国の歌謡をほしいままにし、昼夜の別なく宮人と酒に溺れ、錦繍を敷物とされた。衣服に綾や白絹を用いた者が多かった。(八年三月条)


まるで中国の王朝末期の皇帝や、ローマの暴君のようですね。しかし、この内容は中国の史書からそのまま引用した部分が見られたり、日本古来の「国つ罪」を絡めた創作である可能性が指摘されています。

さらに、日本書紀には、こんなエピソードも紹介されています。武烈天皇の皇太子時代、物部麁鹿火の娘・影媛(かげひめ)をめぐって、平群臣鮪(へぐりのおみしび)と歌垣で争い、敗れてしまったため、大伴金村に命じて鮪を討ち取らせた、といいます。

ところが、このエピソードは古事記ではまったく別の人物による別のお話として扱われています。つまり、「日本書紀の作者は意図的に武烈天皇の悪評を掲載した」ということが予想されるのです。

これは、次の第26代・継体天皇(Wikipedia)が遠くから招かれて新王朝を築いたことを正当化するためであると考えられています。「武烈天皇が悪者で子もなかったので遠縁の継体天皇が皇位を継いだのは必然だった」という理論づけですね。

ちなみに、私がこの文章を書くにあたって参考にさせていただいた『平安朝 皇位継承の闇 (角川選書)』(感想文はこちら)では、「雄略天皇の息子で、生まれながらにして白髪で子をなさなかった22代・清寧天皇、播磨で発見された兄弟の23代顕宗天皇・24代仁賢天皇、暴虐で子のなかった25代武烈天皇、この4名は創作で実在しない」という説が提唱されていました。


大きな山形の御陵は自然の丘?

第25代・武烈天皇陵@香芝市-01
そんな同情すべき武烈天皇ですが、御陵(お墓)は香芝市今泉の「傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)」とされています。西名阪自動車道の香芝インターチェンジから近い距離にあり、かなり大きな山状です。細いカーブした道の先に駐車場と管理の建物があります

第25代・武烈天皇陵@香芝市-03
「武烈天皇陵」の所在地を示す宮内庁の看板があります。古墳の形状(陵形)は「山形」とされています。正確なサイズは分かりませんが、かなり大きな規模で、同じ丘陵の裏手には「志都美神社」が鎮座しています

第25代・武烈天皇陵@香芝市-04
別角度から。武烈天皇陵がここに治定されるまで、香芝市・平野3・4号墳、大和高田市・築山古墳などがそれではないかという変遷があったとか。また、広陵町・新山古墳も被葬者候補として武烈天皇の名前が挙がっているそうです

第25代・武烈天皇陵@香芝市-05
裏手から。これだけ悪評のあった武烈天皇に対して、ましてや実在すら疑われている天皇に対して、これだけ大きな陵墓を築造するというのも不思議な感じがします。実際に「これは古墳ではなく自然の丘だ」という見方が一般的となっているのだとか。ことごとく悲劇的ですね



■武烈天皇陵

HP: http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/025/
所在: 奈良県香芝市今泉
アクセス: JR和歌山線「志都美駅」より徒歩6分ほど


小さな前方後円墳・顕宗天皇陵

第23代・顕宗天皇陵@香芝市-06
武烈天皇陵のある香芝市には、その2代前、祖父にあたる第23代・顕宗天皇(けんぞうてんのう)(Wikipedia)の御陵である「傍丘磐坏丘南陵 (かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)」も存在します。最近になって国道168号線が開発されたため、大通りに面した小さな御陵といった雰囲気になりました

第23代・顕宗天皇陵@香芝市-07
顕宗天皇陵は、小さめの前方後円墳です。雄略天皇に父を殺害され、兄の億計(後の仁賢天皇)とともに身を隠し、後に子がなかった清寧天皇が後継者として兄弟揃って迎い入れた、というエピソードが知られています。しかし、それほど大きな業績があったりすることもなく、実在すら疑問視されている方なので、この小じんまりとした感じはイメージに合っているといえるかもしれません

第23代・顕宗天皇陵@香芝市-09
顕宗天皇陵の周りは住宅街になっていて、さっと一周できます。裏手はこんな空き地になっていたりしました。天皇陵との距離がこれだけ近いと、住んでいてどんな気分がするものなんでしょうね?(笑)


■顕宗天皇陵

HP: http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/023/
所在: 奈良県香芝市北今市
アクセス: JR・近鉄「下田駅」より徒歩10分ほど


■参考書籍








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