平安朝 皇位継承の闇 (角川選書)
暴虐や狂気じみたとされる、平城・陽成・冷泉・花山天皇らの真の姿を検証。興味深いです
暴虐・狂気という言葉で語られる、平安時代初期の天皇について、それが事実だったのかどうか、文献から考察した一冊。平安朝の初期に在位した平城天皇、摂関政治の確立期の陽成・冷泉。花山天皇を扱い、冒頭では日本の歴史上でもっとも極悪に描かれた天皇・武烈天皇にも触れられます。
後の時代の研究者たちから「統合失調症だった」などと判断されることの多い方たちですが、筆者はこうした立場を取らず、すべて記録者が事実を歪め、それに潤色がかさなったに過ぎないと論じています。歴史書や説話集の文章を例示し、それに加える反論は明快で、とても腑に落ちる内容でした。
説明文:「嵯峨天皇と皇位を巡って争乱を起こしたとされる平城天皇。宮中で殺人事件を起こして廃位されたとされる陽成天皇。神器を見ようとしたなど異常な行動が多かったとされる冷泉天皇。好色で奇矯な行動があったとされる花山天皇―。皇位を追われた天皇たちの説話を彩る奇行と暴虐、そして狂気に秘められた真実とは。皇統の謎と錯綜する政治状況を丁寧に繙き、正史では語られることがなかった平安朝の皇位継承の光と影に迫る!」
さまざまな悪しきエピソードが伝わる方たちですが、そのパターンは近いものがあります。暴力沙汰・馬で暴れる・神器に手をかけるなどで、私たちから見れば、天皇家という特殊な濃い血筋に生まれつけば、そういう人物が混ざっても不思議なないのかも……などと思いがちです。
しかし、こうした天皇についての信頼の置ける記述を集めてみると、行政の無駄を正したり、有能な政治家としての実績が見つかる方がほとんどだとか。また、みな即位した時点では天皇家の嫡流であり、その時の藤原氏の権力者によって皇位を奪われ、その子孫までも皇統から外されてしまったという共通点もあります。
つまり、権力者によって皇統が操作された後に、それを正当化するために「狂人だった」「異常な振る舞いがみられた」などと政治的な情報操作がなされたのだとか。
個人的に、私も西国三十三所を巡ったりしていますので、その中興の祖とされる花山法皇のことは気にかかっていました。「好色で奇矯な行動が目立った」という記述もありますが、父・冷泉天皇と円融天皇の両統迭立が崩れかかったころのことであり、おそらくそれらの悪評は事実とは見られないとか。
また、平城京に戻って専横的な指令を発し、政治的混乱を招いた末に「薬子の変」で政治的に抹殺されたとされる平城天皇も、これらと同じパターンであると考えられるとか。
こうした類例を見ていくことで、気狂いの天皇というのは存在しなかった(または存在したとしたら歴史書には記されなかった)ということに気付かされます。ややこしいことこの上ないですね。新たな発見がある一冊でした。