応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)
ややこしい京都の大乱を扱いながら、大和の描写も多く読み応えあり!
日本人の誰もが知っている名前ながら、全体像が捉えづらいため人気がないとされてきた、室町時代の大乱「応仁の乱」。このテーマに真っ向から挑んで、異例の大ヒットを記録している一冊です。
本書では、興福寺の別当を務めた、経覚の『経覚私要鈔』、尋尊の『大乗院寺社雑事記』という、2冊の日記から戦の流れを追っています。デマなどに一喜一憂しながら、大和から京都の戦局を見守る様子が伝わってきますし、その当時の大和の国の様子も見られて、とても興味深い内容でした。
室町幕府はなぜ自壊したのか―室町後期、諸大名が東西両軍に分かれ、京都市街を主戦場として戦った応仁の乱(一四六七~七七)。細川勝元、山名宗全という時の実力者の対立に、将軍後継問題や管領家畠山・斯波両氏の家督争いが絡んで起きたとされる。戦国乱世の序曲とも評されるが、高い知名度とは対照的に、実態は十分知られていない。いかなる原因で勃発し、どう終結に至ったか。なぜあれほど長期化したのか―。日本史上屈指の大乱を読み解く意欲作。
「内容紹介」より
【目次】
はじめに
第一章 畿内の火薬庫、大和
1 興福寺と大和 / 2 動乱の大和 / 3 経覚の栄光と没落
第二章 応仁の乱への道
1 戦う経覚 / 2 畠山氏の分裂 / 3 諸大名の合従連衡
第三章 大乱勃発
1 クーデターの応酬 / 2 短期決戦戦略の破綻 / 3 戦法の変化
第四章 応仁の乱と興福寺
1 寺務経覚の献身 / 2 越前の状況 / 3 経覚と尋尊 / 4 乱中の遊芸
第五章 衆徒・国民の苦闘
1 中世都市奈良 / 2 大乱の転換点 / 3 古市胤栄の悲劇
第六章 大乱終結
1 厭戦気分の蔓延 / 2 うやむやの終戦 / 3 それからの大和
第七章 乱後の室町幕府
1 幕府政治の再建 / 2 細川政元と山城国一揆 / 3 孤立する将軍 / 4 室町幕府の落日
終章 応仁の乱が残したもの
第一章からして「畿内の火薬庫、大和」というタイトルで、興福寺が支配していた当時の大和の国が、興福寺内でも一乗院と大乗院にわかれ、国内は越智氏や筒井氏が小競り合いを続けていたことが描かれます。ここに首を突っ込んでしまったのが、時の将軍・足利義政。周囲の反対を押し切って武力介入をしてしまい、これが大乱のきっかけになったともされています。
当時の室町幕府は、伊勢・山名・細川が三者鼎立の状態でしたが、斯波氏の家督争いから分裂が進み、畠山氏の争いも絡み、より大きな対立構造が出来上がっていきます。単純な「細川vs山名」ではなく、将軍家なども二分した大戦へと発展してしまいます。
このあたりのいきさつは、本書では細かく示されていますが、登場人物も多くてかなりややこしいですね。また、目立ったヒーローもいないため、戦記物としてもあまり盛り上がりづらいですし、戦っている当事者同士がそれほど憎みあっているわけですらないというケースも多く、なかなか渋めの展開が続きます。
西軍に将軍の弟・足利義視が加わったり、南朝の末裔が担がれたりと、少しずつ戦況が変わっていきますが、その状況を大和の高僧たちがどのように見ていたのかが丹念に解説されているのが、本書のユニークなところでしょう。
京都でこんな大乱が起こっている間も、じつは大和の国は比較的平穏で、貴族たちの疎開地になっており、大きな宴会が催されたりしました。
大和では興福寺の支配が徹底しており、衆徒や国民たちの小競り合いはあったものの、他国の軍勢を大和国内に入れたりはしなかったためなのだとか。「興福寺の法会や春日祭を無事に行うこと」が共通の大きな目的だったため、それがブレーキになって大きな争いに発展しなかったという面もあるのだそうです。
とはいえ、興福寺の荘園などは管理するのも難しくなってしまい、興福寺僧の日記からは、どうやって妨害されずに税を徴収するかに苦心し、法会の執行が危うくなっって落胆したりという姿が見て取れます。
応仁の乱は、天皇や将軍側の東軍の勝利によって終結しますが、大和には京都から落ちてきた畠山義就の兵が迫ったり、後には赤沢宗益の手のものに支配されたりと、戦国時代へ向けて混迷を極めていきます。
京都が主戦場となった「応仁の乱」を扱っていながら、大和盆地の状況もたっぷりと描かれており、とても読み応えのある内容でした。奈良の歴史がお好きな方も必読ですよ!