奈良の大仏さんの生みの親『聖武天皇陵』
般若寺界隈へ行った帰り道、東大寺の転害門あたりで『聖武天皇陵』という案内看板を発見。今さら改めてこの辺りのガイドブックを眺めたりすることもありませんので、私は全く知りませんでした。
聖武天皇といえば、何といっても「奈良の大仏さん」の生みの親(?)として歴史に名を残した方ですからね。早速お参りしてきました。
奈良の大仏の生みの親「聖武天皇」
「聖武天皇(しょうむてんのう)」という方は、第45代の天皇です。またの名は
・天璽国押開豊桜彦天皇(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと)
・勝宝感神聖武皇帝(しょうほうかんじんしょうむこうてい)
・沙弥勝満(しゃみしょうまん)
などなどの呼び名があるそうです。
生まれは701年と、平城遷都の少し前のこと。42代の文武天皇の第一子でしたが、幼い頃に崩御されたため、43代の元明天皇(女性です)、44代の元正天皇こちらも女性)と、2代の中継ぎ天皇を挟んでから、725年に即位しました。
(元明天皇・元正天皇の陵墓もこの般若寺の付近にあります)
その治世は、729年には「長屋王の変」、737年には疫病の流行により、その黒幕だった藤原四兄弟や政府高官のほとんどが死亡し、740年には「藤原広嗣の乱」と、決して穏やかなものではありませんでした。
この反動もあってか、聖武天皇は深く仏教に帰依し、741年には「国分寺建立の詔」を、743年には、いよいよ「東大寺大仏の建立の詔」を発布しています。退位した後の752年、無事に東大寺大仏の開眼供養が行われ、10年にも及ぶ大工事は実を結んだのでした。
・・・と非常に奈良とも縁の深い方なんですが、その一方で、災いから逃れようと何度も平城京からの遷都を行っては、官民の反対にあって戻り・・・ということを繰り返した方なんだそうです。知りませんでした!
光明皇后と同じ地に眠っています
さて、その聖武天皇の陵墓ですが、「佐保山南陵(さほやまのみなみのみささぎ)」といいます。
ちなみに、同じ場所には、その奥様であり、天皇と同じく仏教に深く帰依し、法華寺・新薬師寺などとも縁が深い「光明皇后(正式には「天平応真仁正皇太后」)」を祀った「佐保山東陵」もあります。
今の庶民感覚でいうと、夫婦揃って同じお墓に入った・・・といったところなのかもしれませんが、何せ一山丸ごとがお墓という大きな古墳です。さすがにスケールが違いますね(笑)
まぁ、実際に現地に行ってみると、何か珍しいものがあったりするワケでもないのですが、天皇皇后の陵墓が一緒の敷地にあるというのは、意外と珍しいのかもしれませんね。
東大寺からはやや離れますが、大仏様を拝んだ後にここに立ち寄ってみるのもいいかもしれませんね。
東大寺の転害門から正面の道を直進すると見えてくる『聖武天皇陵』。さすがは奈良の大仏さんの生みの親でもある聖武天皇、奈良市街の一等地にあるんですね
ここには聖武天皇の陵墓とされている「佐保山南陵」と、法華寺などに縁のある光明皇后の陵墓「佐保山東陵」の両方が同じ土地にあります。真正面には聖武天皇が、右にそれると光明皇后が眠っている形になります
正面にある聖武天皇陵の様子。ここに限ったことではありませんが、特に何もありませんね
参道を右手(東側)にそれると、こんな光景が見えてきます。同じ敷地内に鳥居が二つあるのも、ちょっと珍しいのかもしれません
「佐保山東陵」は光明皇后の陵墓です。もちろん、こちらにも特に何があるというワケではありません