2008-04-21

ジャパネスクが満載!世界遺産『元興寺』@奈良市

元興寺

快晴の一日、これまでまともに行った記憶が無かった奈良町へ行ってみました。ならまち巡りのスタートは、世界遺産の『元興寺(がんごうじ)』(別名:極楽坊)から。南都七大寺の一つで、奈良町全体が元興寺の寺内町だったというのですが、中世以降は次第に衰退してきて・・・と、「昔はスゴかった系」のお寺の代表格です。

仏像などはそれほど見るべきものも少ないのですが、さすがに国宝建築物などは美しく、ジャパネスクな雰囲気を十分に楽しむことが出来ました!


南都七大寺の大伽藍も今は昔・・・

「元興寺」は、蘇我馬子が飛鳥の地に創建した、日本最初の本格的な寺院「法興寺」が元になっています。平城遷都の際に、現在の地へ移転してきたものが「元興寺」となり、飛鳥の地にそのまま残ったものは「本元興寺」となり、飛鳥大仏で有名な現在の「飛鳥寺」となっています。

奈良時代には、三論宗・法相宗の道場として、東大寺や興福寺と並ぶ大伽藍を誇っていました。その大きさは、南北440m・東西220m、現在の奈良町の大部分が元興寺の境内でした。

創建当初の講堂は、間口十一間、丈六の薬師如来坐像と脇侍、さらに等身の十二神将像が祀られていた、かなり壮大なものだったそうです。749年の各寺院の墾田の記録では、「東大寺が四千町歩、元興寺が二千町歩、大安寺・薬師寺・興福寺が一千町歩、法隆寺・四天王寺が五百町歩」だったそうで、南都七大寺の中でも、東大寺に次ぐ位置にあったそうです。

しかし、東大寺・興福寺の勢力を増していく反面、元興寺は次第に衰退していきます。寺が荒れ果てていく中で、天平時代の学僧「智光」が描かせた「阿弥陀浄土図(智光曼荼羅)」が、平安末期の末法思想や阿弥陀信仰の流行とともに信仰を集めるようになり、その中心となったのが、智光曼荼羅(焼失して現存していません)を本尊として祀る「極楽坊」でした。

その後、極楽坊は元興寺から独立。江戸時代には西大寺の末寺として、真言律宗のお寺になりました。

結果的に、元興寺は3つの寺院に分裂、世界遺産登録されている「元興寺(極楽坊)」と、五重塔を祀っていた「元興寺観音堂」「元興寺小塔院」となりました。五重塔も観音堂も江戸時代末期に焼失、現在は同じ元興寺の名前ですが、元興寺(極楽坊)の南側に「元興寺塔跡」として残っています。


本堂は、屋根瓦も欄間も美しい!

この元興寺(極楽坊)は、奈良町の中心部にあります。東大寺西南院から移築された「東門(重文)」をくぐると、すぐに国宝の「本堂(別名:極楽堂)」が。鎌倉時代に僧坊の一部を改修して作られたものですが、以下のような特徴があります。

・寄棟造の「妻」側(屋根が三角見える側)を正面とすること。普通は台形に見える方を正面とする
・正面の柱間を「6間」と偶数としていること。真ん中に柱が来てしまうので、普通は奇数とする

この本堂は、「智光曼荼羅(模造)」が祀られた内陣を、四方から礼拝できる形になっています。

正面から見ると、「葺寄菱格子欄間」という細かな菱形の欄間と、下の引き戸の格子との対比が美しく、木の古びた感じといい、かなり美しい建築物ですね。お堂の内部も、細かい格子柄の「組入天井」や、柱の配置などが面白く、色んなところをジックリと見て周ると、かなり楽しめる作りでした。

また西側の屋根瓦は、上部が細く下部が幅広くなる独特の形で、「行基葺(ぎょうぎぶき)」という形式になります。しかも、元興寺の前進、飛鳥時代の「法興寺」から移築された瓦まで残っているそうです!所々に見える色合いの違った瓦がそうだと思いますが、その色彩もいかにも奈良っぽくていいんですよね。

元興寺-01
奈良町にある『元興寺(がんごうじ)』。現在の奈良町界隈は全て元興寺の寺内町だったというのですから、全盛期には壮大な規模の大寺院でした。1998年12月、「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されています

元興寺(東門)-02
元興寺「東門(重文)」。鎌倉時代の建築で、元は東大寺西南院にあったものを移築したもの。石碑にある「元興寺 極楽房」というのが通称で、普段は「元興寺 極楽坊」と表記されていることが多いようです

元興寺(本堂)-03
元興寺の「本堂(国宝)」。別名は「極楽堂」「曼荼羅堂」。元は僧坊だった建物を、1244年に改築したもの。正面の柱間を6間の偶数としている(真ん中に柱が来てしまう)など、かなり珍しい特徴を備えたお堂です

元興寺(本堂)-04
柱などの古びた感じと、格子の幾何学的な文様がいいですね。お堂の内部も、細かい格子柄の「組入天井」や、中央を避けて配置された柱など、かなり面白い作りになっています

元興寺(本堂)-05
上の欄間部分は「葺寄菱格子欄間」という形式で、下の引き戸の格子とのバランスが素晴しいのです!シンプルで美しい、和を感じる文様ですね

元興寺(本堂)-06
扉の藁座の部分もかなり凝ってます

元興寺(本堂)-07
本堂の隅にある「閼伽棚(あかだな)」。仏さまへ供える水などを置く小さな小屋のようなもの。かなり地味ですが、これも国宝の一部です!

元興寺(本堂)-08
元興寺本堂の西流れの屋根瓦は「行基葺(ぎょうぎぶき)」という形式で、元興寺の前進、飛鳥時代の「法興寺」から持ってきたものも残っているのだそうです。屋根瓦が現役で1300年も働いているというのは、よく考えればスゴイことですね!


地味目な「禅室」も国宝です

本堂と軒を接するように建っているのが「禅室(国宝)」です。元は一繋がりだったものを別の建物に改築したもので、以前はここでお坊さんたちが集団生活を営んでいたのだとか。

残念ながらその内部は見ることができませんが、やや地味目な建物であることは間違いありません(笑)

元興寺(禅室)-10
境内に多数ある石塔(墓地です)。奥の向かって右手が「本堂」、左側に軒を接するように建っているのが「禅室(国宝)」です

元興寺(禅室)-11
本堂と禅室の間の部分。元はこの建物は一繋がりの僧坊だったものを、2つに分割したのだそうです

元興寺(禅室)-12
元興寺禅室。正面の4ヶ所に扉があり、内部は4つの部屋に分かれているそうです。ここでお坊さんが集団生活を営んでいたのだとか


石仏&石塔もジャパネスク!

元興寺の境内に入って、真っ先に目に付くのは、無数の石仏と石塔たちです。山合いのお寺ではこのような風景もよく見かけますが、それがこんな平地の、世界遺産のお寺にあるのは珍しいかもしれませんね。

その背後には、寺宝を展示する「収蔵庫」があります。ここには高さ5m強の小さな「五重塔(国宝)」があります。同じ小型の五重塔としては「海龍王寺」のものが有名ですが、それよりもやや少しだけ大きくて、「工芸品」としてではなく、ちゃんと「建造物」として国宝指定を受けている逸品です。内部までしっかりと精密に作ってあり、技術の高さを感じさせてくれます。

また、この収蔵庫の奥の方には、珍しい民間の研究所「元興寺文化財研究所」の「中世庶民信仰資料」が展示されています。コチラの展示物もかなり渋めなラインナップですが、お時間のある方はどうぞ。

収蔵庫の隣に建っているのが、1663年に改修され、極楽院の庫裏として使用されていた「小子房」と、その横には茶室(泰楽軒)が。どちらもなかなか趣のある素敵な建物ですので、ゆっくり見てみてください。

元興寺(収蔵庫)-13
元興寺境内の様子。左手手前が「収蔵庫」、その奥が「小子房」。その前にはズラリと石塔&石仏が並んでいます

元興寺(収蔵庫)-14
沢山の石塔と「収蔵庫」。ここには高さ5m強の小さな「五重塔(国宝)」や、「木造阿弥陀如来坐像(重文)」などが収められています。また、元興寺文化財研究所の所蔵物も見ることができます

元興寺(小子房)-15
奥の建物が「小子房」。1663年に改修され、極楽院の庫裏として使用されていたもの。その横には茶室(泰楽軒)が1994年に増築されています

元興寺(小子房)-16
元興寺「小子房」の内部。今は休憩室のような使われ方をしているようですが、かなりいい雰囲気の建物ですね

元興寺(小子房)-17
小子房にあった護摩壇。密教的な雰囲気がある一角でした

元興寺(小子房)-18
小子房の奥にある茶室「泰楽軒」。川崎幽玄氏が建築に携わり、1994年に増築されたものです

元興寺(お社)-19
元興寺の境内の一角にあるお社。後ろの老木を祀ってあるものでしょうか?

元興寺(かえる石)-20
元興寺にある「かえる石」。太閤秀吉が気に入り、大阪城に持ち込んだもの。その頃はお堀に身を投げた者も「必ずこの石の下にかえる」といわれていたのだそうです

元興寺(八重桜)-21
この日は八重桜が満開でした

元興寺-ご朱印
元興寺でいただいたご朱印です。「智光曼荼羅」の力強い文字がいいですね!

※ 2010/11/09 追記

「元興寺塔跡」のことを、誤って「元興寺(小塔院)」と表記していました。コメント欄で「元興寺」さんからご指摘をいただきましたので、以下の文章を修正いたしました。

「元興寺塔跡」と「小塔院」は別の場所にある別のものです。誤った情報を掲載してしまい、失礼をいたしました。


南側の「元興寺 塔跡」は・・・

元興寺(極楽院)の南側には、1859年に焼失してしまうまでは、総高72,7mという巨大な塔が立っていたという「史跡 元興寺塔跡」があります。

この日は残念ながら時間が遅かったために入れませんでしたが、現在では塔跡地に小さなお堂が建っているだけなんだとか。ちょっと寂しい感じがしますよね。

元興寺(塔跡)-22
元興寺(極楽坊)の南側にある「史跡 元興寺塔跡」。観光マップには、単に「元興寺塔跡」とだけ書いてあります

元興寺(塔跡)-23
この日は時間が遅かったため中には入れませんでした


※ 2008/05/27 「史跡 元興寺塔跡」追記

また奈良町界隈へ出かけてきたため、先日は入らなかった「史跡 元興寺塔跡」も見てきました。想像していた通り、やっぱりほとんど何も無いところでしたね。ちゃんとお堂も存在していますが、ご本尊にお会いできるワケでもないため、正直、それほど楽しめるところではありません。お時間がある方はどうぞ。

追記-元興寺(塔跡)-01
世界遺産『元興寺』の裏手にある「史跡 元興寺塔跡」。先日は入り損ねたため、改めて立ち寄ってみました

追記-元興寺(塔跡)-02
元興寺塔跡の石碑。跡地というくらいですから、境内にはほとんど何もありません

追記-元興寺(塔跡)-03
元興寺の塔跡。19世紀までは70メートルを超す巨大な塔が立っていたとのことですが、それが信じられないような静けさです

追記-元興寺(塔跡)-04
鬱蒼ととした境内。ちゃんと手入れされています

追記-元興寺(塔跡)-05
「史跡 元興寺塔跡」のお堂には「木造不動明王坐像」が祀られており、奈良市指定文化財となっているそうです



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■元興寺(極楽坊)

HP: http://www.gangoji.or.jp/
住所: 奈良県奈良市中院町11
電話: 0742-23-1377
宗派: 真言律宗
本尊: 智光曼荼羅(重要文化財)
創建: 593年
開基: 蘇我馬子
拝観料: 400円
拝観時間: 9:00 - 17:00(入館締切は16:30)
駐車場: 20台(無料)
アクセス: JR奈良駅から徒歩20分、近鉄奈良駅から徒歩10分

※南都七大寺の一つです
※「西国薬師四十九霊場」の第五番霊場






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