2013-12-06

大阪にあった首都『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』

大阪にあった首都『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』

古代日本の首都であり副都であった、大阪市中央区の『難波宮跡』。広々とした公園として整備されていて、とても気持ちのいい場所です。隣接する『大阪歴史博物館』では、その資料が拝見できたり、地下に難波宮の遺構が大事に保存されています!


大阪歴史博物館の地下には難波宮跡の遺構が

大阪市中央区にある『大阪歴史博物館』(Wikipedia)。道路を挟んで古代の都「国史跡 難波宮跡」がありますが、大阪歴博の敷地からも難波宮の遺構が発見されています。

大阪城の本丸にあった「大阪市立博物館」の事業を継承し、NHK大阪放送局との複合施設として、2001年にオープンしています。地下には「難波長柄豊崎宮」の遺構を保存し、6階が特別展示室、7階~10階までが常設展示(古代-難波宮の時代、中世-大坂本願寺の時代、近世-天下の台所の時代、近現代-大大阪の時代)と、大阪の歴史を伝える資料を豊富に揃えています。

この日は、時間の都合上、常設展示は拝見しませんでしたが、難波宮の展示などはとても興味があります。また、10階の窓からは、隣接する難波宮跡を見下ろせるようになっているそうですので、ぜひ入館してみてください。

この日の私たちの目的は、特別展「戦国アバンギャルドとその昇華 変わり兜×刀装具」でした(2013年11月2日~12月8日まで)。

個人的に、戦国時代あたりはそれほど詳しくありませんが、どう考えても戦闘には向かない「変わり兜」などは、観ていて本当に楽しかったです!ウサ耳だったり、マジンガー系だったり、サザエだったり、巨大過ぎる角がついたりと、衝撃の連続でした。夫婦そろって夢中になって楽しんできました!


『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-01

大阪市中央区にある『大阪歴史博物館』。壁面がカーブしている側が歴博で、向かって左手は「NHK大阪放送局」です。絶好の社会見学スポットらしく、たくさんの小学生たちが見学に来ていましたその手前に何やら不思議な建物がありますが…

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-02
古墳時代(5世紀)の大型高床式の建物「法円坂建物群」の一部が再現されています。この時代の難波は、淀川や大和川をさかのぼって来る交通の要地であり、こうした巨大建築物が立ち並んでいたのだそうです。百舌鳥や古市に巨大な古墳群を築いた大王が権力を内外に誇示するために作ったと考えられるそうです

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-04
この日の一番のお目当ては、特別展「戦国アバンギャルドとその昇華 変わり兜×刀装具」です。これが本当に面白かったです!もう会期は終わってしまったのであまり詳しくはご紹介しませんが、食い入いるように見学してきました。入場者も多くて活気がありました

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-05
こんな顔ハメもあったりします


ガイドさんの「難波宮遺跡探訪」が面白い!

大阪歴史博物館の敷地は、飛鳥時代と奈良時代の二時期にわたって宮殿が置かれた土地です。難波宮の場所はずっと不明でしたが、1954年から調査が始まり、現在では約13万平方キロが国指定史跡として保存整備されています。


●飛鳥時代(7世紀中頃)の「前期難波宮」。孝徳天皇によって造られた「難波長柄豊碕宮」(なにわながらとよさきのみや)。すべて掘立柱建物で構成され、左右対称に作られています。686年の大火により焼失しました

●奈良時代(8世紀前半)には、聖武天皇によって「後期難波宮」が作られました。聖武天皇が遷都を繰り返した際の移転先のひとつで、しばらく副都心のような使われ方をしました。礎石の上に建物を建て、屋根も瓦で葺いてあるなど、先進的で大陸的な装いだったようです


大阪歴史博物館では、床の一部が丸い柱型になっていて、前期難波宮の遺構の位置が分かるようになっています。また、床が強化ガラスになっているところからは、地下に保存された遺構を見られます。

さらに、学芸員やボランティアガイドの方が案内してくれる「難波宮遺跡探訪」(無料。1回20分、もしくは40分)に申し込むと、地下に保存されている難波長柄豊碕宮の遺構が見られるようになっています!

ひっそりとした入口から地下へ入ると、静かに遺構が眠っています。こんな立派な施設の地下にこんなものが眠っているのかと思うと、ちょっとした感激でした。ガイドさんのお話もとても分かりやすくて面白いですし、ぜひ気軽に参加してみてください。


『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-06

大阪歴史博物館に床の一部はガラス張りになっていて、地下に保存された遺構が見られるようになっています。これらは難波長柄豊碕宮(前期難波宮)のものです

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-08
パネルやパンフレットでどのような規模だったのかが説明されています。上の図の赤い線が前期難波宮、青い線が後期難波宮。現在の難波宮跡として保存されている部分はもちろん、歴博やNHKの建物の一帯まですっぽりと難波宮に含まれます

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-09
この辺りは、難波宮跡だけではなく、大阪城から近いため戦国時代の遺構なども見つかるそうです。上の写真は広大な屋敷跡で、関白秀次のものではないかという説があるとか。下の写真は、戦時中に軍隊の施設などが置かれていた時のもの

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-07
難波宮遺跡探訪」の受付カウンター。ボランティアガイドの方にご案内いただきました。とても分かりやすい解説をありがとうございました!

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-10
建物内の柱跡などの説明をしていただいた後、裏通路からこんな場所へ案内されます。不審者が入れないような厳重チェックです。このガイドツアーに申し込まないと拝見できません

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-11
階段を上がったところ。ガランとしたロビーに出ます

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-12
ガラス越しに眺めると、難波長柄豊碕宮(前期難波宮)の遺構がそのまま遺されているのが見えます!上から吊るされているライトは、当時の柱を表しています

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-13
基本的に倉庫群(格の高い「並び倉」など)の遺構ですが、奥には谷の湧き水を利用した水利施設の跡である、石組みの水路などもあるそうです

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-14
この遺構は「パイプルーフ工法」という方法を用いて保存されています。一見まったく分かりませんが、実はこの遺構の下は駐車場になっています。遺構の上は建物、間に遺構の層を残し、地下には駐車場を作ってあるのだとか!遺構の4mほど下にパイプを差し入れて支えているというのですが、そんなことが出来ちゃうんですね!

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-15
この地層が数メートルのスライス状で大事に遺されているのかと思うと、ちょっと不思議な感じがしますよね

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-16
スマホアプリ「AR難波宮」をダウンロードして使用すると、こんな光景が見られます。古代の高床式式倉庫が浮かび上がります!マーカーは何箇所もありますので、地下の遺構だけではなく、難波宮跡などでも楽しめます


広々と何もない空間が広がる『難波宮跡』

大阪歴史博物館から大きな道路をわたった斜向かいには『国指定史跡 難波宮跡(難波宮跡公園)』が広がっています。大阪の中心部とは思えないほど広々と開放的な公園で、約9万平方メートル余りが史跡として整備されています。

大極殿の基壇跡が復元されていたりと、それほど観るべきものは多くはありませんが、前期難波宮は低く掘って赤色で、後期難波宮は高く盛り上げて灰色で表現してありますので、それぞれの違いなどを想像しながら歩くといいですね。

前期難波宮は、蘇我本宗家が滅んだ乙巳の変(645年)の後、孝徳天皇がここに都を移しました。大化の改新と呼ばれる新しい政治は、この宮で行われました。しかし、後に中大兄皇子と対立し、孝徳天皇を難波宮に残したまま、皇極天皇らを引き連れて飛鳥へ戻ってしまったため、悲しみに暮れて亡くなってしまったと伝えられています。

孝徳天皇という人物は、中大兄皇子の傀儡のような捉え方をされることも多いのですが、大化の改新を推し進めた有能なリーダーだったとする説もあります。そんな歴史絵巻を思い描いてみるとより楽しいでしょう!


『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-18

現在の難波宮跡の説明。前期難波宮は、地面よりも一段低く掘りくぼめて赤い色で表現。後期難波宮は、地面を一段高く盛り上げ灰色で表現してあるそうです

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-19
大阪歴史博物館と難波宮跡の間は、高速道路なども通る大通りです。横断歩道がありますので、それを渡って行きましょう

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-21
現在の難波宮跡「難波宮跡公園」の様子。大阪のど真ん中とは思えないような空の開け方ですね。以前はブルーシートハウスが並んで恐ろしいような雰囲気だったそうですが、現在では完全に撤去されていました

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-20
史跡難波宮跡「大化改新(645年)にともなう難波遷都以来8世紀末まで約150年間、難波宮は日本の首都として、また副都として、日本の古代史上に大きな役割を果たした。昭和29年(1954年)以降長年にわたる発掘調査の結果、前期・後期ニ時期の難波宮跡が、中央区法円坂一帯の地に残っていることが明らかになった。」

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-22
赤い色で表されているのは前期難波宮。柱跡も丸い石で再現されています。正面に見えるのは、前期難波宮の「八角殿跡」。柱が八角形に並ぶ建物で、周囲は複廊で囲まれており、東西に一つずつ建てられていたそうです。他の宮跡では例がない特徴的なものなのだとか

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-24
後期難波宮の大極殿の基壇跡も再現されています。その向こうに大阪城が見えます

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-25
大極殿跡を正面から

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-27
大極殿の基壇上。大阪の真ん中とは思えませんね

『大阪歴史博物館』と『難波宮跡』@大阪-28
大極殿跡の背後には「大極殿後殿」も。向こうに見えるのが大阪歴史博物館です



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■大阪歴史博物館

HP: http://www.mus-his.city.osaka.jp/
住所: 大阪府大阪市中央区大手前4丁目1-32
電話: 06-6946-5728
休館日: 火曜日(祝日の場合は翌日休み)
開館時間: 9:30 - 17:00(金曜日は20:00まで)
観覧料: 常設展 大人600円、大学生・高校生400円、中学生以下は無料(特別展の料金はその都度決定)
駐車場: 有料駐車場あり
アクセス: 地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目」駅すぐ


■国指定史跡 難波宮跡(難波宮跡公園)

HP: http://www.pref.osaka.jp/bunkazaihogo/bunkazai/naniwamiyaatokouen.html
住所: 大阪市中央区法円坂1(難波宮調査事務所)
電話: 06-6943-6836
料金: 無料

※実際に訪問したのは「2013年12月2日」でした


■参考にさせていただきました

大阪歴史博物館 - Wikipedia
大阪文化財研究所:難波宮インフォメーション
難波宮 - Wikipedia


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