万葉集と日本人読み継がれる千二百年の歴史 (角川選書)
万葉集が時代ごとにどう読まれ、写され、解釈されてきたかを掘り下げた一冊。良書です!
古代から現代まで、万葉集がどう読まれ、写され、解釈され、伝えられてきたかを時代順に読み解いた一冊。万葉集が現在私たちが知っているような形になるまで、先人たちのさまざまな努力がありました。紀貫之、紫式部、藤原定家、仙覚らが読んだ『万葉集』はどのようなものだったのかを丹念にたどった、読み応えるのある良書です!
なお、奈良県や島根県など5県共同で主催する、古代歴史文化に関する優れた書籍を表彰する「古代歴史文化賞」というものがありますが、第3回の優秀作品に選ばれています(参考:「第3回古代歴史文化賞」受賞作品が決定しました。│島根県)。
説明文:「日本最古の歌集『万葉集』は、8世紀末から今日まで、愛されつづけてきた稀有な歌集だ。しかし、漢字だけで書かれた万葉歌は、時代によって異なることばに読み下され、時代ごとの考え方や感じ方を強く反映した解釈がなされてきた。紀貫之、紫式部、藤原定家、仙覚、賀茂真淵、佐佐木信綱らが読んだそれぞれの時代の『万葉集』は、どのようなものだったのか。その読み方に現れる日本人のこころの歴史をたどり、万葉集の魅力に迫る。」
万葉集という物が、時代ごとにどのように親しまれてきたのかを順に追っていますが、これが一筋縄ではいきません。今でも誰が編纂したのかに諸説あるようなものですし、少し時代が下った紀貫之の時代でも、「人麿と赤人は同時代の人物だ」「天皇と民衆は歌を詠み合うことで心を通わせていた」というような誤解が生まれていたそうです。
特に後者のイメージは後々まで受け継がれ、「和歌が反映した古代には、造形の深い天皇のもとで優れた歌人が輩出し、一体となって四季折々の咸興を歌に詠む」という、理想化された姿が広まりました。このため、天皇の政治的な地位が低下する時代になると、この時代を懐かしみ万葉集が注目される、そんなことを繰り返したりしたそうです。
また、最初は巻物として漢字のみ(万葉仮名)で表され、詠み手が頭から順番に音読していた時代もありました。それが平仮名で書かれるようになり、後には書物の形に書写されるようになり、次第に普及していくことになります。
時代ごとに解釈も違ったりするため、さまざまなバージョンが平行して存在したりもしました。各時代ごとにそうしたものを何パターンか集めて、どれが正しいのかを比較検討していくという作業も行われ、少しずつ現代の私たちが知る形へと近づいていきます。
同じ日本の古典である「古事記」については、斎藤英喜さんの『古事記 不思議な1300年史』(紹介記事)というご著書で、時代ごとの扱いの浮き沈みが解説されています(エキサイティングな内容なのでぜひ!)。万葉集は、古事記ほどではないにしても、やはり現代の私たちが想像する以上に、時代ごとの扱われ方の違いがあるんですね。丹念に見ていくととても興味深いです。
なお、前著の『万葉集 隠された歴史のメッセージ (角川選書)』の後半部分をより詳しく掘り下げたような内容のため、先にこちらを読んでおくと分かりやすいかもしれません。
どなたにでもどうぞ、とお勧めできるような内容ではありませんが、万葉集をより深く理解するきっかけを与えてくれました。また必ず読み返してみたいと思います!