
万葉集と古代史 (歴史文化ライブラリー)
「あをによし」など、有名な万葉歌を歴史の中で読み直すと?眼からうろこの良書です!
歴史学者の直木孝次郎さんが、万葉集を古代史の文脈の中で読みなおした一冊。2000年に出版されたものですが、内容が古びるはずもなく、最後まで熱中して読めました。古代史の基礎知識がない方には難しすぎるとは思いますが、歴史好きな方が万葉集を知る足がかりになってくれるでしょう。
説明文:「万葉集は、古代史の宝庫である。有間皇子・額田王・大伴家持など、白鳳・天平時代を代表する歌人たちの生き方や政治とのかかわりを追究。作者の心理まで立ち入り、日本書紀・続日本紀では窺えない歴史の一面を考える。」
本書では、時代別に著名な万葉歌人たちを取り上げています。有間皇子・額田王・大津皇子・天智天皇とその皇子たち・柿本人麻呂・元明天皇と御名部皇女・大伴旅人・山上憶良・元正太上天皇と橘諸兄・大伴家持など。
私は万葉集関係の本をよく読んでいますので、それぞれの詠んだ歌については目にする機会が多いのですが、それを歴史の流れの中に位置づけて読みなおすという視点はありませんでした。歌が詠まれた簡単な背景は知っていたものの、その時の大和や日本の空気感は考えておらず、この本で驚いたことがいくつもありました。
例えば、天武天皇が死の直後、大津皇子が翻意ありとして処刑された事件があります。首謀者は我が子・草壁皇子を帝位につけたいと願った持統天皇であるというのが定説となっています。これを密告したのが、大津皇子の親友であったと思われる川島皇子。天武天皇を父に持つ、皇位継承の候補の一人ですが、母の身分が低いため序列は下位にありました。
この川島皇子、そして優れた万葉歌人であった志貴皇子らは、父親が(敵方というのに近い)天智天皇ということもあり、持統天皇の時代にはほとんどどの資料にも名前が見られず、冬の時代を過ごしており、文武天皇の時代になってようやく表舞台に登場するのだとか。そういったことを考えながら彼らの歌を見ると、また違った味わいがありますね。
また、有名な万葉歌「あをによし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり(巻3-328 小野老)」の歌があります。この歌は、実は奈良の都で詠まれたのではなく、九州の太宰府に左遷された大伴旅人らとともに詠まれた歌であることが知られています。
私は今まで、大和から地方へ赴任させられた者同士、みんな仲良く慰めあっていた…というようなイメージを持っていたのですが、これがかなり違ったようなのです。
この歌を詠んだ小野老は、この直前に奈良へ朝集使として一旦帰国していて、ちょうど平城京を揺るがしていた「長屋王の変」の起こったタイミングで居合わせた可能性が高いのだとか。ちなみに、小野老はこの事件の首謀者であった藤原氏寄りの人物であり、一方の大伴旅人は藤原氏によって左遷されたとも言われる、長屋王寄りの立ち位置でした。そんな状況で詠まれた「あをによし」の歌は、それぞれ思うところがあったでしょう。
有名な万葉歌も、歴史の流れの中で読みなおしてみると、また全く違った事実があるんですね。
このような発見が随所にありますので、個人的には本当に楽しく読めました。図書館で借りてきた本ですが、すぐに買い直して手元に置きたいと思います。渋いテーマですが、興味のあるかはぜひ!