古代道路の謎―-奈良時代の巨大国家プロジェクト(祥伝社新書316)
奈良時代の巨大直線道路「駅路」。その設立から廃絶まで分かりやすく解説した興味深い一冊
奈良時代、国家を挙げての壮大なプロジェクトとして造成された古代道路「駅路」について、奈良時代の交通制度・工法などもまじえて、とても分かりやすく記されています。
駅路の総延長は、東北~九州まで約6,300kmに及び、道幅は最小でも6m、最大で30m!しかも、何十kmも真っすぐ作られているというのです。ちなみに、江戸幕府が敷設した五街道は、道幅3.6m程度で湾曲した道ですから、にわかには信じがたいスケールです。謎が多い古代道路の歴史に迫った良書です。
説明文:「日本にもあった! 巨大な直線道路。藤原京などの都(みやこ)と地方を結ぶことを目的に、計画的に整備・造成された古代道路「駅路(えきろ)」。その道は、どこまでも直線で、巨大な幅を有していた。さらに、想定される総延長は六三〇〇キロメートルにもおよび、中世、近世、近代をしのぎ、現代の高速道路にも匹敵する。だが不思議なことに、この大事業がなされた理由が文献史料に見当たらない。古代道路はなぜ造られ、どのようなものだったのか? そして、なぜ急に廃絶したのか?本書では、古代史の流れとともにわかりやすく解説する。また、身近に存在する古代道路を、地図や写真などから見つける方法も披露、謎解きの世界へと誘う。」
こんな壮大な国家道路を何故作ったのか、その理由は定かではありません。律令国家の完成を目指す天武天皇の時代に作られていますが、白村江の戦いで敗れて国防に励む必要があったため、軍隊が移動しやすいように巨大な直線道路を張り巡らせたという説もあるそうです。しかし、筆者はそれは敵をも利することになるため、この意見には賛同していません。地方の整備や耕地整備と一体化した事業として計画されたもので、「駅路建設は天武天皇による列島改造であった」と表現しているそうです。
これだけ労力を費やして設置された駅路も、光仁天皇~桓武天皇が「小さな政府」を志向したこともあって、8世紀も後半くらいから、幅9m以上あった駅路が、ほぼ一斉に道幅を5~6mへ縮小させているそうです。さらに、11世紀頃の律令制の終焉とともにほぼ廃絶してしまいます。地方の者には不要であったり利便性に劣る道路も多かったのでしょう、中央の力が及ばなくなると維持管理できなくなっていったようです。不思議なものですね。
そんな古代道路ですが、本書の後半では「地図から読む古代道路」「古代道路の見つけ方」などという章が設けられており、その探索方法が記されているのも面白いですね。もちろん、地図や航空写真から探すのが一般的ですが、古い資料や現代の地名などからも探せたり、現代にもその痕跡をたどれる場所も少なくないのだとか。簡単に見つかるものでも無いでしょうが、面白いですね!
著者の近江俊秀先生は、これまで『道が語る日本古代史 (朝日選書)』『道路誕生―考古学からみた道づくり』など古代の道路についての著作があります。それらと比較しても、テーマを駅路に絞っている分だけ分かりやすく、とても興味深く読めました。普段は道路についてなど気にもとめないものですが、注目してみると意外な事実が見つかって面白いですね。古代史がお好きな方はぜひ手にとってみてください!