道路誕生―考古学からみた道づくり
古代の国道の成り立ちを考古学的に解説した一冊。真っ直ぐな道路は大変なんです!
当たり前のように歩いている「道」の歴史を、考古学的な視点から読み解いた一冊。先日読んでとても面白かった『道が語る日本古代史 (朝日選書)』と同じ近江俊秀さんの著作で、こちらはそれより以前の2008年に出版されています。古代の道は個人的に妙に惹かれるカテゴリーで、先日は近江さんの講演会も拝聴したほどで、地味ながら興味深いですね。
説明文:「日本古代の国道は、現代の高速道路に類似した「まっすぐで、幅の広い」計画道路だった!「よりはやく、より安全な」道路をめざした古代人の創意工夫を、考古学の成果から明らかにする。」
本書では、縄文時代の道路「古梅谷遺跡の木道」から、古墳時代の「風ノ森峠と鴨神遺跡」に始まり、奈良盆地に作られた真っ直ぐな道「上ツ道・中ツ道・下ツ道と横大路」、それを斜めに補完する「太子路」のような斜行道路(スジカイ路)、国が整備したハイウェイのような「駅路」のシステムなど、その成り立ちと廃絶を、考古学的な観点から解説しています。
今では道路の存在が当たり前になっていて、なかなかそれ以前の様子が想像しづらいものです。現在の舗装道路の前は、田舎の細い未舗装の道路があって、その前は…というと、もう時代劇の中のシーンしか思い浮かびません。それも、画面に登場するのは街中か街道筋だけですから、それがどのように作られ、維持されてきたのかなんて考えたこともありませんでした。
例えば、古くは都が営まれた飛鳥でも、現在はきれいな真っ直ぐな道路が伸びていますが、近鉄岡寺駅から明日香村役場へ続く通りは、古代とほぼ同じ位置を通っているのだとか。斉明天皇の後飛鳥岡本宮などが営まれた岡の地へと続くメインストリートでした。
しかし、このような直線道路が作られる以前は、目的地から目的地へと繋がるだけの、自然の条件に合わせて曲がりくねった道でした。それも、草が生い茂ったところを人が歩いて自然にできた踏み分け道のようなものだったのです。古代の都があった奈良周辺には、比較的早い時期の道路の遺構が見つかっていますが、それも少し外れればそんな状態なのですから、なかなか想像できません。
しかし、後に幅6~12メートルの全国を結ぶ「駅路」のシステムが完成し、国家レベルの工事を行なって、極力真っ直ぐな道を作っていきます。そのシステムも断絶したりするのですが、道路の歴史は色んなことを想像させてくれますね。
比較的やさしい言葉で書いてありますが、さすがにそれなりに専門的な内容ですから、どなたにもお勧めできるものではありません。しかし、古代の道路という視点から古代を見なおしてみるのも楽しいですから、少しでも興味のある方はぜひ手にとってみてください!