道が語る日本古代史 (朝日選書)
古代の道路の発掘結果から歴史を読み解いた一冊。権力と道は密接に関係しています
古代に拓かれた3つの道路から、歴史背景を読み解いた一冊。古代の土木技術の一端が知れるのも面白いですし、その様子が発掘状況などからありありと浮かび上がってくるのも驚きです。古道の発掘についての本は初めて読みましたが、寺院遺跡の発掘とはまた違った興奮がありますね。
説明文:「近年の発掘調査の増加とともに、古代の道路跡が全国各地で次々と発見されている。驚くのは、直線で舗装された道路であることだ。側溝をそなえ、広いものは幅30メートルにも及ぶ。これらは時の巨大な権力が労働力、技術力を結集し、目的を持って造ったことを物語る。道づくりの技術はどこから来たのか。なぜここに道を通す必要があったのか。道の上で何があったのか。大豪族葛城氏の繁栄を支えた道路、推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子の経済政策と道路の関わり、壬申の乱の舞台となった要衝、全国駅制施行とともに行われた列島改造、律令制の崩壊と地方分権にともなう道路の荒廃など、古代国家の誕生から終焉までを、5~10世紀の道路の実態から読み解く。遺跡を歩く写真・地図を多数収載。」
歴史上、道路はその国の国力をはかる目安になっていたのだとか。外交使節が他国へ訪れた際に、何よりも真っ先に道路の整備状況をチェックしていたようです。『魏志倭人伝』では、「土地は山険しく、森林多く、道路は禽鹿の径(こみち)の如し。」と、その狭さが報告されています。近代になって日本を訪れた西洋人も、日本の道路事情の悪さについて記述しています。今の日本では舗装道路が当たり前になりましたが、海外へ行って未舗装の道路を見つけると、やや整備が遅れているなどと感じるのも同じことなのかもしれません。
本書で取り扱うのは、古墳時代に天皇家と並ぶほどの権力を持った葛城氏が作った「葛城の道」。日本初の女帝・推古天皇の時代に作られた「大和・河内の直線古道」。律令国家を完成させた天武天皇の時代の「七道駅路」。3つの時代の道路から、日本の体制の変化を読み解いています。
第一章の葛城の道(葛上斜向道路)は、1994年ごろ、奈良県御所市の風の森峠付近の「鴨神遺跡」の発掘の際に遺構が見つかっています。まだ古代の道の発掘例は少なく、当初はそれが道だと分からなかったとか。道路幅は約8メートル。調べていくうちに、道路の構造が分かってきます。
[1]道路部分を浅く掘りくぼめる [2]小石を敷いて叩き締める [3]その上に砂を盛って路面を作る(湿気が多い場合は枯れ草なども混ぜる)
6世紀頃の日本に、びっしりと小石が敷き詰められた道路が、何kmにも及んで造営されていたのです。この道路は、古代の有力豪族・葛城氏の本拠地と難波を結ぶもので、その強大さを物語っています。
葛城氏の反映の築いた葛城襲津彦は、その娘・磐之媛を仁徳天皇のもとへ嫁がせ、二人の間には履中天皇・允恭天皇などが誕生しています。外戚として大きな権力を握ったものの、後に雄略天皇によって本宗家は滅ぼされてしまいます。すると、葛城氏の本拠へと向かっていた葛上斜向道路の重要性は低下し、より直線的に宮へと続く巨勢道が発展していくことになります。
このように、壬申の乱で使用された道、日本書紀に登場した道、推古天皇の時代に作られた直線道路、道路と関わりの深い海石榴市や屯倉(みやけ)などの制度も紹介しながら解説していきます。決して誰にでも読みやすい内容ではありませんが、「古代の道路」という視点から古代史を眺めるとと、また違った様子が見えてきますね。面白い内容ですので、興味のある方はぜひ!