山伏ノート ~自然と人をつなぐ知恵を武器に~ (生きる技術! 叢書)
山伏になって聖なる山へ入ることで見つけたこと、感じたこと。色々と考えさせられます
本職はイラストレーター、出羽三山を拠点とする山伏となった著者・坂本大三郎さんが、聖なる山へ踏み入ったことで見つけたこと、感じたことを綴ったもの。なぜ山伏になったのかなど、経緯を記した著作『山伏と僕』の続編のようなもので、山伏の歴史から民俗学、哲学的な内容にまで触れており、読み応えのある内容でした。
説明文:「自然と人の中間的な存在であった山伏が、原初から寄り添ってきた社会、文化を辿ることで、もう一つの日本の姿が浮かび上がる。自然との関係性が急速に失われつつある現代から未来への新しい通路をつなぐ、立体的・山伏の文化誌。」
現代社会では、ほとんど身近に存在しなくなった山伏たち。そのルーツは「日知り」(「聖」は鎌倉時代の僧侶が言い始めた)という言葉だったとか。天体の運行を知り、暦の知識を活かして農耕や灌漑作業などの計画を立てていました。さらに、芸能に通じ、一般人が立ち入らなかった山へ入ることが出来るなど、共同体の中心から、その周辺部に普通に存在するような人々でした。
激しい山岳修行によって、超常的な験力を得た山伏もいますが、筆者自身は特に信仰に篤いということもなく、自然とはなにか?という疑問や、生きる上でのヒントを求めるため、山伏として修行し、活動しているそうです。
何度も山へ入り、山にいるカエルやヘビなどを捕まえて食べ、山で野糞をし、雨を避けながら寝る。そんな生活を行うことで見えてくることもあるのでしょう。
本書を読んで好感を持ったのは、決して単なる「自分探し」の内容ではないことです。悩みに悩んだ末に山伏となった方もいらっしゃると思いますが、そうした肩に力が入った雰囲気はなく、だからこそ普遍性を感じます。現代人が日常生活で疑問に思ったり、不安に思ったりすることのヒントを得ようとしたらこういう世界に出会った、そういう姿勢に共感できますね。
生と死、農耕と狩猟、肉食と菜食など、色んな視点から山伏の文化が語られ、やや難しい表現もありますが、歴史や概念など、とても参考になりました。奈良には吉野山を中心として山伏として活動なさっている方はたくさんいらっしゃいます。これまであまり知識はありませんでしたが、少しずつ調べていこうと思います。