南北朝の動乱 (戦争の日本史8)
複雑怪奇な「南北朝時代」について。敵味方が入れ替わって争う時代背景が解説されます
朝廷と武士がふた手に別れ、敵味方を入れ替えながら争った「南北朝時代」。時期によってめまぐるしく状況が変わるため、とても把握しづらい時代です。『南朝全史-大覚寺統から後南朝まで』(紹介記事)に続いて読んでみましたが、やはり複雑怪奇な時代ですね。
説明文:「日本が経験した未曾有の大転換期=南北朝時代。二つの朝廷と複雑な勢力抗争が絡んだ動乱はなぜ全国に広がり、半世紀以上に及んだのか。個性豊かな人物像とその時代に迫り、南朝が大きく顕彰された近代史にも言及する。」
南朝側の後醍醐天皇、護良親王、後村上天皇、宗良親王、楠木正成・正行、新田義貞、北畠親房・顕家、名和長年などはともかく、停止されたり復活したりした北朝側には、光厳天皇、光明天皇、西園寺公宗が。
室町幕府を設立した武人たちも、足利尊氏・直義・直冬、佐々木道誉、高師直・師泰、赤松家・細川家・上杉家など、登場人物が、状況によって立場を変えて争うのですからややこしい。ずっと南朝と敵対していたはずの足利尊氏でさえ、一時は南朝に下って弟の直義と戦ったりしています。
理由の一つとして、まだ朝廷が南朝北朝に別れたことで、幕府内はもちろん、守護大名の家の中の揉め事もふた手に対立しやすくなってしまったことが大きかったとか。状況不利と見れば、保身のためにすぐさま敵方へ寝返っていたそうです。
また、この時代もまだ呪術的なものは信じられていて、僧侶たちも敵を打ち負かすための祈祷を続けていましたし、後醍醐天皇の怨霊によって災いが振りかかると信じられていたため、鎮魂のための仏事は続けられていました。こうした戦乱の背景についても記されているのが面白いですね。
決して読みやすい本ではありませんが、南北朝の騒乱の流れが把握しやすくなっていますので、じっくり取り組みたい方にはおすすめです。「戦争の日本史」というシリーズの8冊目ですが、前後は別の方が執筆なさっていますし、順番に読む必要もありませんので、ここから手を出しても大丈夫ですよ。
なお、ここからは個人的なメモ代わりに。
1348年、河内で楠木軍を撃破した高師直・師泰軍は、南朝の本拠だった吉野へ進軍。後村上天皇らが賀名生に逃れたあとだったため、皇居や公家たちの邸宅のみならず、金峯山寺にも火をかけ、本堂の蔵王堂が燃え落ちただけではなく、さんざんな狼藉に及んだとか。
ちなみに、補佐役として足利尊氏を支えた高氏は、飛鳥時代の高市皇子を祖とする一族なのだとか。高市皇子好きな私としては、複雑な気分です(笑)