器つれづれ
白洲正子さん愛用の器の写真を、器関連の文章とまとめた一冊。これが遺作だったそうです
白洲正子さんが普段から使用していた器たちを撮影し、発表済みの器関連の文章とともにまとめた一冊。発売は1999年、本書が世に出る直前に白洲さんは急逝なさってしまったそうですから、遺作と言ってもいいかもしれません。
私は白洲さんの著作は数多く読んできましたが、器についての知識が足りないため、これまであまり手にとって来ませんでした。しかし、ここで紹介される器はすべて品良く素朴で、目に優しく手にとっても馴染みそうなものばかり。戦争で疎開して以来、特に素朴なものを好むようになったといいますが、民藝に染まりすぎていない、かといって金持ち趣味が鼻につくような上手物ばかりではない、素朴で美しい焼き物たちが紹介されています。
説明文:「どんなに上等なものでもしまっておいたら必ず顔色が悪くなる…。死の直前まで掌に包み、唇に触れ、慈しんだ"もの"たち。著者が手塩にかけ、磨き、鍛えあげたふだん使いの器150点を写真と随筆で紹介する。」
文章は、骨董の師匠となった青山二郎さんとのエピソードや、好みの器について、信楽の産地を訪ねた話など、器や骨董に対する凛とした姿勢が伝わってくるものばかりです。白洲さんの旧蔵品とともに、その文章が後々まで有難がられるのも納得できるでしょう。
紹介されている器の写真は、食器・酒器・茶器・花器・文具ほかのコーナーに分かれています。またテキストは、骨董とのつき合い・日本人の焼きもの・私と道具・職人のこころ・伝統と創造というパートに分類されて掲載されています。写真も文章も、気の緩んだようなものは一点もなく、どれも素晴らしいものでした。
覚書として『今なぜ青山二郎なのか』という文章の一部を引用しておきます。
「精神は尊重したが、「精神的」なものは認めなかった。意味も、精神も、すべて形に現れる、現れなければそんなものは空な言葉にすぎないと信じていたからだ。(中略)小林(秀雄)さんも青山さんも、ずぶの素人が見ても面白いとわかるものしか認めなかった。逆にいえば、説明つきで感心させるものなんて、死んだ芸だと思っていんたのである。」