古くて新しいお江戸パワースポット 富士塚ゆる散歩
関東に残る「富士塚」を探して登り、信仰する人々に密着し、その魅力を伝える充実の一冊
関東地方を中心に築かれた、小さな人造の富士山「富士塚」について、軽めのタッチで取り上げた一冊。富士塚とは何か、登拝のガイド、信仰の形など、富士信仰と現代の富士塚のことを総合的に取り上げた充実の内容です。
関東以外ではほぼ馴染みが無いと思いますが、富士塚は関東地方に300以上も現存しており、江戸時代に大流行したものです。頂上には浅間神社を祀り、富士山の山開きの日に富士講が富士塚に登山する習慣が残っています。明治20年には、富士山から遠く離れた大阪・生國魂神社に「浪速富士」が築かれた記録が残っているというのですから、大きなブームだったのでしょう。
説明文:「富士塚を偏愛する、第一人者がひたすらフィールドワークして取材した、富士塚ガイド決定版。前著『ご近所富士山の「謎」』が出版されるや、テレビ、新聞から取材殺到。得も言われぬ魅力で注目される、古くて新しいパワースポットの秘密をさらにディープに紹介します。
豊富な写真、イラストともに、新書では満足できなかった読者に、この1冊で「富士塚のすべてがわかる」決定版ガイドとして、まったく新しい街歩き、歴史散策を提案します。
各メディアで活況を呈している「江戸」もの、古地図もの、ブラタモリ的散策ものが好きな読者をはじめ、歴史好き、地形、建造物……などさまざまなマニアを熱狂させるお江戸散策ガイドです。(略)」
富士信仰は、役行者が富士山で修行したという言い伝えに始まり、戦国時代には長谷川角行師が行を始め、富士山の烏帽子岩で断食行を行なって絶命した食行身禄、その弟子で富士講の興隆をもたらした高田藤四郎とつながっていきます。そんな富士山を女性でも老人でも登拝できるよう、身近に小さな丘を作って(または古墳なども利用して)富士山に見立てたものが富士塚です。
本書では、富士信仰の歴史などはさらっと触れられているだけですが、3章「信仰にふれてゴリヤク倍増」では、富士山の聖地(人穴と船津胎内樹型)の紹介や、現在も富士塚をめぐってお詣りする「七富士参り」などの様子に密着してレポしてあります。とても貴重な資料ですし、筆者がちゃんと富士塚を愛し、行者さんたちと親しくなっていることが伝わってくるのがいいですね。あくまでも「宗教ではなく信仰である」というスタンスで、現在でも連綿と続いていることに驚きます。
今では男女の隔てなく富士山へも気軽に登拝できますし、信仰心が薄れている時代ですから、富士塚信仰も次第に姿を消していくと思われます。しかし、富士山が世界遺産に登録された今こそ、こうした信仰の形があったということを思い出すといいかもしれませんね。
また2章の「楽しきアイテムコレクション」の項目では、富士塚の作られ方、登山道の形式(ジグザグ・螺旋など)から、富士塚に付き物だという猿・亀・天狗・烏帽子岩・独特の扁額など、画像を多用して見せています。これがどれも愛嬌があっていいんですよね。富士塚の存在自体がキッチュですが、細部まで見ていくことでさらに好ましいものに感じられます。
私自身は関西在住ですから、身近に富士塚があるような環境ではありませんが、関東地方にお住まいの方はこの本を片手に近くの富士塚を巡ってみると楽しいでしょう。きっと富士山への信仰の多様性が実感できると思います。
●著者さんのブログ
『芙蓉庵 [有坂蓉子] の【富士塚日記】』