実録 天誅組の変
明治維新の魁となった「天誅組の変」から150年。その足跡を淡々と追った分かりやすい良書!
1863年、尊王攘夷派の志士たちが五條市の代官所を襲撃し、約40日後に壊滅するまでの動乱を「天誅組の変」(Wikipedia)と言います。無謀な暴挙だったとも、明治維新の先駆けとなった義挙とも言われるこの騒乱から、2013年で150周年となり、舞台となった奈良県南部を中心に記念イベントが行われています。
そレを記念して、天誅組に関する研究資料を、比較的読みやすい形でまとめたのが本書です。私は幕末の歴史に関してはそれほど知識はありませんし、以前に司馬遼太郎さんの『街道をゆく12 十津川街道』で天誅組について触れられていたのを読んだ程度でしたが、この本はとても理解しやすいですし、夢中になって読み進めました!
説明文:「〈天誅組決起150年記念出版〉〈義挙とも暴挙とも呼ばれる天誅組の変の実態を詳らかにした一冊〉
幕府の直轄領であった大和五條(奈良県五條市)は現在でも穏やかな地方都市ですが、文久3年(1863)8月17日、尊王倒幕を目指した一団によって突如占領されました。「天誅組」と呼ばれたその一団は、幕府に追討を命じられた諸藩の包囲を受け、約40日にわたって西吉野、十津川と転戦し、東吉野で壊滅します。しかし、彼らが目指した倒幕は5年後に実現し、明治維新を迎えることになりました。「維新の魁」とも呼ばれる彼ら天誅組の実態を詳細にまとめた一冊。」
天誅組の変について、ここではあまり詳しく書きませんが、「天皇陛下の大和行幸に際して、尊王攘夷派の志士たちが先乗りし、敵対する幕府の五條の代官所を焼き討ちし、続いて高取城を攻めた。しかし、その直後に京都で政変が起こり、主流は尊王攘夷派から公武合体派へ。大和行幸も中止され、天誅組は逆賊になった」というもの。結果的にはあえなく壊滅させられるのですが、そのわずか5年後に明治維新がなることを考えると、その先駆けといわれるのに相応しいでしょう。
本書は、天誅組の中心人物の紹介から、その時の政治の流れ、挙兵の理由、隊の雰囲気、戦果、混乱、分裂、隊員の最期まで、資料から丹念にたどって平易に伝えています。筆者の感情などを交えずに淡々と書き記されていますが、個々人のプロフィールからその最期の土地まで紹介されるため、だんだん切なくなるほど感情移入していきます。
天誅組に参加した人物の中では、もっとも有名なのは土佐藩を脱藩して参加した吉村寅太郎(虎太郎)でしょう。 本書を読むと、気さくで快活な性格が伝わってきて、とても好感を持ちます。また、個人的に古墳好きな私は「伴林光平(ともばやしみつひら)」に興味を持っています。法隆寺近くに暮らしていた国学者で、師・伴信友の跡を継いで、天皇陵の調査を行い、「大和国陵墓検考」などの著している方です。
また、忠義の旗のもとに立ち上がったにも関わらず、図らずも歴史の流れに翻弄されていく十津川郷士の姿は、美しくもあり、涙も誘います。
そんな方たちが、最後までどのように戦い、どのように死んでいったか、丹念に資料をあたって、淡々と書き起こされているのですから、たまらないですね。最期には散り散りになって敗走するのですが、天誅組の志士たちが討ち死にした場所などには碑やお墓がありますので、その足跡を辿ることも可能です。
たいした知識もなく読み始めましたが、最低限の幕末の歴史の流れを知っていれば、それほどややこしいこともなく、どんどん読み進められるでしょう。立場は違いますが、おそらく新撰組のような切なさが感じられますので、興味のある方はぜひご一読ください。
なお、天誅組の本陣だった桜井寺は、現在は近代的な建物に建てなおされていますが、その設計は有名な建築家・村野藤吾氏。以前の本堂は、箱根町元箱根の「京風湯豆腐桜井茶屋」の建物として現存しているそうです。箱根マラソンの中継で映ったりするのかも?どちらもいつか観てみたいですね。