往生の書―来世に魅せられた人たち (NHKブックス)
往生伝『日本往生極楽記』などから見る往生の姿。誰もが西方浄土へ行きたかったんですね
平安期から編まれるようになった、人々の往生の様子を描いた「往生伝」から、その時代の死へ向き合う姿を探った一冊。
現在では、生と死の境界ははっきりと区別されており、死は恐れられるべき存在となっています。しかし、死後に西方浄土の極楽へ迎えられると認識していれば、事情はまったく異なります。来迎が来るまでをどう過ごし、その瞬間をどう迎えたのか。有名無名な多数の人々の事例を、時代別に死生観とともに紹介しています。
説明文:「できれば死を遠ざけて生き続けたい。この願いを現実に果たそうとして仏道を歩んだ有名無名の人たちが、平安の世から明治までの長い期間、往生伝に数多く実名で登場してくる。それは苦境を乗り越えようと懸命に生きた人の心の記録であり、来世に仏になれる望みのため、死を恐れずに往き貫いた人たちの祈りの記録でもあった。生と死の確執がどんどん希薄になっていく現在、本書はその世界に分け入って、そうした願いの切実さと、もう一つの命を得て生まれ変わろうとした生き方を探る。」
仏道を歩んだ人々の往生のエピソードは、日本最古の仏教説話集「日本霊異記」などにも見られます。現世利益を説く仏への信仰が盛んだった当時でしたが、次第に未来信仰の弥勒仏へ、そして来世信仰の阿弥陀仏へと移って行きました。
それから150年ほど後、985年に慶滋保胤(よししげのやすたね)によって日本最初の往生伝『日本往生極楽記』が編纂されます。出家者や一般の男女45名の往生譚が書き留められています。この方は、大和の国の当麻の里で生まれ、後に『往生要集』を書いて、地獄の恐ろしさを人々に知らしめた恵心僧都源信と、比叡山でお互いに見知っていたのだとか。
次第に末法の世が始まると考えられた1052年も近づいてきたことも相まって、極楽往生へが希求されるようになります。それを形で表したものが當麻寺の「練供養会式」であり、人々の間に浄土信仰が浸透することによって、西方浄土への憧れは増していきました。
本書では、有名な方々(最澄・空海・中将姫など)や高僧たちの往生伝も紹介されています。多くの場合、来迎の少し前から本人はそれを悟っており、心身を清めて念仏を唱えながらその瞬間を待っています。そして、本人には来迎の菩薩の姿が見え、周囲には芳しい香りが漂っており、美しい雲が見られたりもするのだとか。
また、後の時代には、生前にほとんど信心らしいものを持たなかった者も来迎される例として、ほんの一回だけ念仏を唱えただけのものも浄土へ召されたりする逸話も登場したりします。
ただし、残された者たちは、本人の死に顔が穏やかだとか、そのくらいしか判断基準はありませんから、浄土へ召される者とそれを見送る者、双方の心の安寧を保つ目的が大きいのでしょうね。そう考えていくと、次第に現在の「大往生」という言葉の意味と近づいていくのかもしれません(笑)
この辺りの時代には、海の向こうの極楽を目指して漕ぎだす「補陀落渡海」や、生きたまま身を隠す「即身成仏」など、現在では不可解に思える宗教的行動もたくさん見られます。仏教の教えの変化とともに、そんな死生観の流れも興味深いですから、これから徐々に調べて行きたいと思います。