官能仏教
愛欲さえも受け入れる仏教世界。仏や僧侶たちの様々な官能の姿があります
『官能仏教』という刺激的なタイトルが目をひく一冊。著者は、愛川純子さん、平久りゑさんという女性お二方。監修者として、奈良国立博物館学芸部長の西山厚さんが名前を連ねています。この方たちは、奈良で仏教について語り合う「南都官能学会」を結成しており、そこから雑誌連載エッセイがスタート。その内容を一冊にまとめたのが『官能仏教』になります(紹介記事→ http://goo.gl/VnSaT )。
西山先生が参加しているくらいですから、決して単なる色物ではありません。仏教の説話や経典に見られる官能的な姿を丁寧に解説し、お固く見られがちな仏教の世界を違った角度から紹介していて、読み応えのある良書でした。
仏教系の愛欲の像の代表である、象の姿の二人が抱き合う不思議な仏さま「歓喜天」から始まり、信者の愛欲に応えた伝承が数多く残る「吉祥天」「弁財天」などの仏たち。そして、天竺へ旅立とうとする明恵を止めた糸野の御前、兄の元で修行するため尼寺ではなく僧寺での修行を選び、その美貌ゆえに悩まされ続けた最乗寺「慧春(えしゅん)」などの僧侶たち。さらには尼僧と魔羅、僧侶と稚児、母と子を繋ぐおっぱい、地獄絵の官能描写など、さまざまな愛欲にまみれたエピソードが紹介されていきます。いずれも決して下衆っぽ過ぎない程度にさらっと読めて、どれも面白いですね。
例えば、聖武天皇の后として知られる、奈良時代の女性・光明皇后。彼女には有名な「湯屋で全身がただれた男の膿を口で吸い出したら、その男は阿しゅく如来の化身だった」というエピソードがあります。これは時代によって色んな変節があり、天狗になっていた皇后を律するための試練だったというものや、主人公が玄奘三蔵のパターンもあるとか。いずれにしても、ある種の性的なニュアンスが感じられるでしょう。
その話に尾ひれがついた可能性もありますが、鎌倉時代に記された仏教通史「元亨釈書(げんこうしゃくしょ)」ではこんな説話が登場しているそうです。「光明皇后が美男として知られていた東大寺僧・実忠(お水取りを創始なさった方です)を呼び出したところ、急に眠ってしまい、夢のなかで実忠と交わってしまいます。目覚めてみると、実忠の頭頂に十一面観音が現れ、自らの愛欲を深く懺悔した。」後にこのような伝承がおこるのは、光明皇后にとては不名誉なことかもしれませんが、仏道と愛欲を語る際にはよく名前を出されるシンボル的な存在であったことは間違いないでしょう。
もちろん、禁欲を説いた仏の教えの中でも、男女の交わりの素晴らしさを讃えているものも少なくありません(愛欲に「おぼれる」のはいけませんが)。いつもとは違った側面から仏教を見つめることで、仏さまの教えがより身近に感じられるでしょう。純粋に楽しいエッセイとしても読めますので、ぜひ手にとってみてください!