
別冊太陽 西行 捨てて生きる (別冊太陽 日本のこころ 168)
花を愛でた歌人・西行の事績をまとめた一冊。奈良とも特に縁の深い方です
「北面の武士」でありながら、妻子を捨てて仏門へ入り、諸国を行脚しなら印象に残る歌を読み続けた、数寄者の歌人「西行」の魅力を探った一冊。
まさに平安時代末からの源平の争乱の時期に生きた方ですから、現在放送中で何かと話題の大河ドラマ「平清盛」にも登場しています(藤木直人さん)。私は大河ドラマは観ていない上に、この時代のこともそれほど詳しくありませんが、西行という人のいくつかの歌と、そのイメージだけは憧れていました。
武家の生まれで、鳥羽院の北面の武士としても仕えた佐藤義清は、23歳で出家して草庵に住し、陸奥や吉野、四国などを行脚しながら、たくさんの印象的な歌を残しています。特に花を愛でた歌が有名で、吉野山の桜を詠んだものは素晴らしいですね。
●吉野山こずゑの花を見し日より 心は身にも添はずなりにき
(吉野山の花をはるか遠くから望み見たその日から、私の心は花でいっぱいになって落ち着かない。)
●なにとなく春になりぬと聞く日より 心にかかるみ吉野の山
(春が立ったと聞いたその日から、どういうわけか吉野山が気になって仕方ない。もう霞は立っただろうか、花は咲いたっだろうか、と。)
●願はくは花の下(した)にて春死なん その二月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ
(私は春、花の下で死にたい。願わくは、釈迦入滅の二月十五日のころに、満月の光を浴びた満開の桜が、私と私の死を照らし出さんことを。)
最後の歌は特に有名ですが、実際に1190年2月16日、桜が満開の満月の日、釈迦の涅槃の一日後に亡くなったのだそうです。
しかし、その生涯を追ってみると、決して気ままに日本中を旅していたのではなく、武家の出で天皇家にも通じ、歌人としても有名だった方だけに、政治的な使命を帯びての旅も多かったのだとか。晩年になって2回目の欧州入りをしたのも、奥州藤原氏へ源平の争乱で焼失してしまった東大寺の大仏の勧進を行うためだったとか。奈良の大恩人でもあるのです。
この本では、歴史的な背景などの解説を交えながら、西行の事績が紹介されていますが、やや歴史上の観点からの記述が多めでした。個人的にはもう少し分かりやすく歌の紹介をして欲しかったのですが、それはまた別の本を探したいと思います。