荒ぶる京の絵師 曾我蕭白
曾我蕭白の特別講義を収録。生い立ちや当時の京都画壇など、理解が深まります
2005年、京都国立博物館で開催された特別展覧会「曾我蕭白-無頼という愉悦-」。その際に筆者が3回にわたって行った特別講義の模様を収録した一冊です。講演の模様をほぼそのまま再録しているため、各回ごとに同じ話が出てきたり、使用したスライドの紹介がページをまたいでしまって、どれに対応するのか分かりづらかったり、お世辞にもベストとは言えませんが、内容はとても参考になりました。
筆者は、同時代の京都で活躍した画家、円山応挙や伊藤若冲との比較を多く用います。伊藤若冲は大きな商家の生まれで、生活に困ることもなく、売るために絵を描く必要が無かった。それに比べて蕭白は、実家が商売をやっていたまでは同じでも、数え年17歳の時には父も母も兄も亡くなっていて、幼い(一人か二人の)妹を養っていく必要があった。生活するために蕭白は売るための絵も描かざるを得なかったので、気にそまぬ仕事もあったろう…というような想像が続きます。
生まれた京都を離れて、長きにわたって伊勢方面へ滞在する最中にも、京の絵師だということを強調したり、鎌倉時代の武士・三浦氏や平氏、さらには藤原鎌足の子孫だと名乗ったりするのも、そんな複雑な心情の現れだったのでしょう。晩年になって京都へ帰り、番付のトップクラスに名を連ねるような人気絵師になったことを考えると、ちょっとした英雄譚ですらあるかもしれません。
また面白かったのは、グロテスクな画風、傍若無人でエキセントリックなエピソードから、異端、狂人と呼ばれた蕭白ですが、これは決して彼の性質のみによるものではなく、当時の京都の文化人の風潮がすべてその方向を向いていたのだという指摘です。「金龍道人」という、自らを無頼と称した天台僧を中心として、このようなムーブメントが起こっていて、蕭白はお上の威を借りた小物には敵意をむき出しにしたが、それも決して彼だけが狂人と呼ばれるようなものではなかった、としています。
…と、こんなやや渋めのエピソードばかりではなく、画像を拡大しての技術的な解説なども行われています。蕭白の作品集などを熟読した後に手に取ると、より世界観が深まる一冊ですね。蕭白好きなら読んでおいて損はない一冊でしょう。