跋扈する怨霊―祟りと鎮魂の日本史 (歴史文化ライブラリー)
オカルトではなく、非業の死を遂げた人物が「怨霊」とされる過程を解き明かした真面目な一冊
タイトルからしておどろおどろしいですが、決してオカルト的な内容ではありません。時の権力者から排除され、非業の死を遂げた歴史上の人物たちが、後に「怨霊」として認識されていく過程を解き明かした、興味深い内容です。
同様のものはこれまで何冊か読んできましたが、いずれも古代が中心でした。本書では、「日本史上最大の怨霊」とまで呼ばれる崇徳院や、後鳥羽上皇、後醍醐天皇など、中世以降の記述が多めです。
説明文:「長屋王、菅原道真、崇徳院…。非業の死を遂げ、祟りや災いを起こした怨霊は、為政者により丁寧に祀られた。虚実とりまぜて論じられがちな怨霊の創出と鎮魂の実態を実際の史料に基づいて辿り、怨霊を時代の中に位置づける。」
●藤原四兄弟を疫病で葬ったとされる長屋王
●実兄・桓武天皇を震え上がらせた早良親王
●宮中の落雷から雷神として恐れられた菅原道真
●日本最大の怨霊とさえ呼ばれる崇徳院 など
過去には、非業の死を遂げたがために、死後に災いをもたらす「怨霊」とされた方たちが何人もいます。
奈良時代ごろは、恨みを残しながら死に追いやられたものは、その当事者だけに祟るものとして考えられていました。
しかし、平安時代になり、中国の影響から「災異は天皇の不徳から起こる」という思想になり、怨霊がさまざまな社会的な怪異を引き起こすとされます。「怨霊の存在を認めること=政治の誤りを認めること」だったため、その霊を鎮めることは最終手段だったのだそうです。
今の時代から考えると、疫病の流行や天変地異の発生は自然現象です。しかし、科学が未発達の時代にはそれを怨霊のためとし、それを祀ることで災いを治める必要がありました。庶民からもそう求められますし、それが為政者の最大の仕事でもあったのです。
まるで、日本の歴史は「政争と怨霊」がセットになっているようで、何とも不思議な世界に思えますが、こうしたアングルから歴史を眺めるのも面白いですね。とても真面目な良書ですのでぜひ!