水洗トイレは古代にもあった―トイレ考古学入門
遺跡のトイレ跡から当時の人々の生活を調査。素朴な水洗トイレなど面白い!良書です!
発掘現場からトイレの遺構を見つけ出し、そこから当時の人々の生活の様子を調べる「トイレ考古学」について、具体的に分かりやすく解説された良書です。
今から1300年以上も前の藤原宮跡からもトイレの跡らしきものが見つかっているというのもすごいですし、タイトルのように(今とはまったく形が違いますが)水洗式トイレのようなものも発見されているのもすごい!普段あまり意識することがない、ちょっと不思議な考古学の世界が垣間見れます。
説明文:「古来、人々はいったいどうウンチを処理していたのか。最新の発掘成果と文献・絵画をもとに、縄文から戦国まで各時代のトイレ事情を解明。これまでなおざりにされてきた日本の排泄の歴史を科学する「トイレの考古学」。」
古い時代のトイレは、土坑(汲み取り)式・水洗式・移動式(おまる)・垂れ流し式(屋外)・豚トイレ(人糞を豚が食べるもの)などがあったとか。近代になって急速に変化しましたが、ほんの最近までトイレのシステムは古代とほとんど変わっていなかったんですね。
古い遺跡からトイレ跡と判断するには、成分を分析し、●土に大量の有機物 ●寄生虫の卵 ●ウリの種 ●人糞にたかる虫 ●魚の骨 などが見つかることで可能性が高まります。
しかし、これが発見されたからといって、それがトイレとは限りません。主におまるを使っていたと考えると、糞尿を溜めておく場所である可能性も考えられるというのですから、判断は難しくなります。
また、古代のトイレ跡からは、トイレットペーパー代わりの「籌木」(ちゅうぎ。長さ20~30cmくらいの薄い板でお尻をぬぐったもの)がそこに混ざっています。ところが、鎌倉時代ごろから、糞尿を肥料として活用する(または販売する)ことが一般化したため、邪魔になる籌木は発見されず、別にまとめて廃棄されたようになるとか。また、この時代のトイレは、家の裏側の目立たないところではなく、玄関の脇、回収業者が汲み取りやすい場所へ移動してきたのだそうです。何とも不思議ですね。
ちなみに、古代の水洗トイレとは、家の庭に半円形の溝を掘って側溝の水を引き込み、ここで用を足して、水の流れでまた側溝へ戻すというもの。合理的です。また、藤原宮跡では、一直線の溝に水を流し、何人もの人間が前後して用を足したと考えられる共同トイレのような跡も見つかっているとか。
地道な発掘の成果と、文献や絵画資料などから、古代から中世までのトイレ事情を知ることができる、とても面白い内容でした。興味のある方はぜひ!