謎の古代豪族 葛城氏(祥伝社新書326)
天皇家の外戚として栄えながら、突如滅亡した葛城氏。その実像に丹念に迫った一冊
奈良県の御所市・葛城市の一帯を拠点とし、天皇家の外戚として大きな権力を持ちながらも、5世紀末ごろに滅亡した古代氏族・葛城氏。丹念にその実態に迫った一冊です。新書版ですが、初心者にも分かりやすく端折ったりせず、しっかりと論を進めていて、やや難解ですが読み応えありました。
説明文:「五世紀にヤマト王権の内政・外交を主導し、天皇(倭国王)と並ぶ権勢を誇った葛城氏。しかし、高校教科書『詳説日本史』では、脚注で一回登場するのみである。その基盤は葛城地域(現在の奈良県御所市・葛城市他)であり、天皇家と奈良盆地を二分した。葛城氏滅亡後、祖を同じくする蘇我氏は、なぜかその地に執着し、所望したが、推古天皇は拒絶した。一族の女性たちを次々に入内させ、天皇家の外戚となるも、五世紀末頃に忽然と滅亡した葛城氏。その滅亡は『古事記』『日本書紀』には記載がなく、謎とされる。葛城氏の実像と盛衰をあきらかにするとともに、ヤマト王権の実態に迫る。」
葛城・金剛・二上の麓を拠点とした葛城氏は、武内宿禰の息子(と伝わる)・葛城襲津彦(そつひこ)を祖とします。早い時期に滅亡したため、葛城氏側の記録は残されていませんが、正史にはいくつも痕跡が見つかります。
第15代応神天皇から、第25代武烈天皇まで、11代の天皇のうち、9代までが葛城氏の女性を母、またはキサキとしていました。例外は、第20代安康天皇と武烈天皇。前者は殺害され、後者は次代へ系統をつなげることができませんでした。
天皇家と葛城氏の関係が悪化したことが、遠縁の第26代継体天皇を迎えることの要因となります。
海から遠く離れていたにも関わらず、葛城氏の活躍は朝鮮半島に関する記述に多く見られ、国内での活躍はほぼ皆無。息長氏・和珥氏・吉備氏・尾張氏・日下宮王家などと結びついて、日本全国の交通路を掌握。ヤマト王権の外交をほぼ独占的に担っていたようです。渡来人たちから得られる最新の技術や知識は、その当時大きなアドバンテージでした。
しかし、次第に葛城氏の没落を示唆する記述が増えていきます。反正天皇の殯宮への奉仕を怠慢したことで允恭天皇に殺害された葛城玉田宿禰。雄略天皇によって葛城円大臣と眉輪王が殺害されるなどして、葛城氏は滅亡します。最大の要因は、天皇家が朝鮮半島との対外交渉権を一元化しようとし、葛城氏と対立したことたことだとされます。
古代豪族の栄枯盛衰は少なくありませんが、今はのどかな葛城山の麓に、そんな大豪族が存在していたことに改めて驚きますね。内容はかなりややこしいですが、地元に住む人間としては、じっくりと読み込んでみる価値のある一冊だったと思います。