2014-05-15
奈良大和高原の縄文文化・大川遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」092)
奈良盆地の東にある縄文時代早期の遺跡の解説。奈良にもこんな時代の遺跡があるんですね
奈良盆地の東方の「大和高原」にある、三重県との県境近くの「大川遺跡」について解説した一冊。縄文時代の早い時期の遺跡で、「大川式」と命名された土器も見つかっています。土器の文様の違いなど、私はこの時代の知識はほとんどありませんので、理解できない部分も多かったですが、山添村にそんな遺跡があったことを知っただけでも収穫でした。
説明文:「古代の都が栄えた奈良盆地の東に広がる大和高原は、縄文時代草創期・早期にさかのぼる遺跡が分布する、縄文時代の黎明期に縄文人が活躍した舞台だ。そこに残された住居跡や土器、石器などから、定住狩猟民としての道を歩みはじめた縄文人の姿を明らかにする。」
大川遺跡では、縄文時代の早い時期の遺跡で、出土した土器には表面に凹部が並んでスタンプされた「押型文(おしがたもん)」があるのだとか。特徴的な深鉢型土器、精密な石鏃などが見つかっています。
また土の穴の中には、こぶし大のサイズの石が多数見つかっていて、これは石を焼いて蒸し焼きに使ったのではないかと推測されるとか。また火を燃やす炉の跡が見当たらない住居跡もあったりするそうです。広い範囲を調査した結果、大川遺跡に同時期に存在した住居は、わずか2棟ほどであり、ごく小規模なものだっとか。定住生活が始まった最初期に近いものなのだそうです。
千三百年も前に都が存在した奈良ですが、そのはるか前、こんな人たちが暮らしていた痕跡が残っているというのは面白いですね。興味が広がります!