敗者の古代史
古代史の敗者の隠された歴史を掘り起こした興味深い内容。偉大な考古学者の遺作的な一冊です
古事記・日本書紀などに不都合な記述を遺されたり、該当部分を削除されたりと、戦いに破れた「敗者」たちは、いつでも不当な扱いを受けるものです。本書は、古代史の敗者にスポットライトを当て、隠された歴史を掘り起こしています。
惜しまれつつ2013年8月に亡くなった考古学者・森浩一さんのご著書で、雑誌『歴史読本』に2013年5月号まで連載したものをまとめて単行本化したもの。片足を切断するなどの大病をしつつ、病室でずっと執筆を続けていらっしゃったとか。鬼気迫るものが伝わってきます。
説明文:「戦中から考古学界に身を置き、60年以上にわたり研究をリードしてきた日本考古学界の第一人者が、「記紀の中では<敗れた>と記述されているが、実際にはそれぞれの地域では神としてその後も崇められていた」事象を、考古学・文献双方からのアプローチを行い、新視点を提示する意欲作。戦いに敗れた彼らは、その後どうなったのか。勝者の視点だけでは決して伝わらない、古代史の深層。」
本書で取り上げられるのは、すべて歴史上で反逆者として描かれていたり、結果的に攻め滅ぼされてしまったりした者ばかりです。
ニギハヤヒ・長髄彦・タケハニヤス王・ミマキイリ彦・狭穂姫と狭穂彦、熊襲のヤソタケル・忍熊王・両面宿儺・墨江中王とソバカリ・大日下王・市辺忍押歯別王・筑紫君磐井・物部守屋大連・崇峻天皇と蜂子皇子・山背大兄王・蘇我氏四代・有間皇子と塩屋連コノ魚・大津皇子と高市皇子・大友皇子など
記紀にもほとんど記述が見当たらない者から、後の時代の権力闘争に破れた者など、一部の者を除いて、すべて悲劇的な最後を迎えています。
前書きなどでも触れられていますが、筑紫君磐井などは、通常は「磐井の反乱」などと呼ばれていることも多いのですが、これを否定。反乱などではなく、対等な国と国同士の戦争だったという見方をなさっています。勝者の目線で描かれる史書から歴史を見ると、単なる反逆者に過ぎないのですが、丁寧に痕跡を拾っていくと、また違ったストーリーが浮かび上がってくるのでしょう。敗者の哀愁すら感じます。
いずれも興味深い内容ですが、天皇陵の治定について独自の見方をなさっていたのも面白かったです。ニギハヤヒは外山茶臼山古墳、狭穂姫は鶯塚古墳、仲哀天皇は五色塚古墳、崇峻天皇は藤ノ木古墳、蘇我稲目は平田岩屋古墳など、他ではあまり見られない見方もあります。
ちなみに、謀反の疑いをかけられ、紀伊の藤代の坂で処刑された有間皇子の墓についても、面白い見方をなさっています。処刑を命じた中大兄皇子らが生きている間は、関係の深かった塩屋氏の手によって仮埋葬されていて、後に自分たちの墓地内へ丁寧に埋葬し直されたとしています。それが日高川近くにある終末期古墳・岩内1号墳としています。これは完全に初めて聞きました。
また、メモ代わりに書いておきますが、持統天皇の下で太政大臣を勤め、臣下のナンバーワンとして重用された高市皇子について、696年に突然「後皇子尊薨ず」という死を伝える簡単な記述が残るだけで、墓のことなどにも触れられていないことから、言い含められて自死したのだろうと予想しています。
やや難解な部分もありましたが、色々と深い意見もたくさん見受けられて面白いですね。また必ず再読したいと思います!