大和三山の古代 (講談社現代新書)
藤原宮跡にある大和三山。そのイメージの形作られ方を万葉の歌とともに観ていく興味深い一冊
藤原京があった古の時代から、日本人の心の山であった大和三山(天香久山・畝傍山・耳成山)。今見ると小さな丘のようなしか見えませんが、有名な持統天皇の歌「春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香久山」に詠まれたように、万葉人が愛する山々でした。そんな大和三山に対する人々の思いを、万葉学者・上野誠先生が少しずつ解き明かしていきます。
説明文:「香具山、畝傍山、耳成山からなる大和三山。奈良県橿原市に位置し、いにしえより心の原郷として日本人に愛されてきたこの山々には、人々のどんな思いが込められているのだろうか。特定の場所に、神話・伝説・物語・歌は堆積する。本書は、それらをとおして、この地に重層した歴史の記憶やイメージを鮮やかに読み解いてゆく。清新な切り口で挑む国文学の冒険―そして、古代は新たな姿を我々の前に現す。」
本書の発売は2008年のこと。冒頭から、2007年に藤原宮跡の大極殿院南門の付近から平瓶が発掘されたことから始まります。中には9枚の富本銭と9個の水晶が入っており、おそらく地鎮祭に使われたものだろうと推測されました。日本の文化では8などの偶数を尊びますが、この9という数字から奇数を好む中国の「陰陽五行説」の影響が考えられ、この当時の日本へ道教の風習が伝わっていたことも考察されています。
こうした事実から紐解いて、万葉集の収められた「藤原宮の御井(みい)の歌」(やすみしし わご大君 高照らす 日の皇子 あらたへの 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に…)という歌が紹介されています。作者不詳のこの歌の中では、「大和の青香具山」などというように大和三山(と吉野山)が紹介され、ここでも陰陽五行説の強い影響が見られるのだとか。風水に基づいた「大和三山は都を鎮護する山」という考え方と同種のものでしょう。
さらに、奈文研の金子裕之先生の主張である、「藤原宮の三山は神仙思想や道教の影響が強く、神仙世界の三神山を擬したものである」という主張が紹介され、その説を検討しています。古代の韓国や奈良、そして後の平安京でもこうした三山の思想は引き継がれていったそうです。
その後の章では、中大兄皇子の有名な三山が三角関係で争う歌を考察したり、飛鳥が当時の人々の心の故郷であったことを説いていきます。
決して誰にでも分かりやすい内容ではありませんが、筆者が冒頭で書いていた「土地に蓄積されている共有された記憶やイメージを、堆積した層として描き出したい」という目的は達せられていると思います。大和三山を詠った歌のさらに深い階層を垣間見るというイメージですね。渋い内容ですが、最後まで楽しく読めました!