日本の怨霊
怨霊とされた井上内親王・早良親王を考察。奈良時代の政争が分かりやすく描かれた良書です
怨霊化して祟りが恐れられた井上内親王・早良親王(と藤原広嗣が少々)にスポットを当てた一冊。歴史的な経緯と、どのような亡くなり方をしたのか、亡くなった土地や墓所を訪ねて歩く、とても分かりやすい一冊です。2007年の著書ですが情報は古びておらず、この方たちに興味がある者にとっては必読の内容でしょう。
説明文:「この人たちは、なぜ怨霊となったのか?天皇家をめぐる暗闘に斃れ、正史から隠された死者たちの怨念の実相。鎮魂の古代史があきらかにする怨霊研究の白眉。」
世の中には、恨みを抱えて亡くなったため、死後に怨霊化したとして祀られた人は何名もいます。菅原道真・平将門・崇徳院などが有名ですが、平安時代には橘逸勢・伊予親王母子・藤原吉子などがいましたし、さらに遡った奈良時代には、後の桓武天皇によって除かれた、井上内親王と他戸親王の母子、早良親王が有名です。奈良時代は政争に明け暮れていましたから、無実の罪で命を奪われる皇族も珍しくなかったんですね。
井上内親王は、聖武天皇の娘として生まれ、わずか5歳の時に伊勢斎王に選ばれ、神に仕える生活へ入ります。これは藤原氏によって、光明子のライバルである者を中央から遠ざける目的があったとされています。その後、長屋王の変、藤原広嗣の乱、井上内親王の弟である安積皇子の不可解な死、妹である不破内親王が夫・塩焼王とともに流罪へ処された事件などがあり、井上内親王が30を過ぎて伊勢から戻った頃には、肉親たちが姿を消しているような状態でした。
その後、彼女は8歳上の白壁王と結ばれます。天智天皇の孫で、志貴皇子の子という素晴らしい血筋ながら、酒に溺れて皇位争いには無縁な方でした。二人の間には、その当時としては超高齢出産である38歳で長女を、そして45歳で長男・他戸親王を産みます。さらには、うだつが上がらなかった夫は、政争の間をぬって即位(後の光仁天皇)します。恵まれない環境にいた井上内親王は54歳にして皇后に、他戸親王は皇太子へと成り上がったのです!
しかし、幸せな時間は長く続かず、天皇を呪詛した疑いをかけられて、井上内親王と他戸親王は廃され、現在の五條市に幽閉され、1年半後の同じ日に揃って死亡します。明らかに自然死ではありません。この流れを主導したのは藤原氏ですが、この後に立太子した後の桓武天皇は、彼女たちの怨霊にずっと苦しめられ、今なお祟り神として祀られるようになったのです。
怨霊化する方たちのエピソードをつぶさに見ていくと、切ないドラマが隠されています。歴史書には、井上内親王は高慢な性格で…といった記述もあるようですが、どうしても同情的に観てしまいますね。
また、早良親王は、桓武天皇の弟で、皇太子でありながら謀反の罪を着せられて、自ら食を断って憤死したとされています。この事件には万葉集の編者として知られる大伴家持も罪を問われ、数日前に亡くなっていたにもかかわらず埋葬すら許されなかったとされています。敗者の切なさを感じますが、勝者はその分だけ怨霊に怯えることでバランスをとっていたのかもしれません。
なお、本書の3章は「早良親王への鎮魂と大伴家持 ─『万葉集』の設立」となっていて、万葉集の編者として「五百枝王」の名前を予想しています。なかなか説得力のある説で、とても興味深かったですね。
とにかく、日本の怨霊系の本は何冊もありますが、井上内親王・早良親王の記述はこの本は特に詳細で、しかも分かりやすいです。筆者の推理を絡めている部分も見当たりますが、それも古代史の楽しみ方ですから、気になりませんでした。この両者に興味が有る方は必読です!私は図書館で借りましたが、買い直して手元におきたいと思います。