未盗掘古墳と天皇陵古墳
未盗掘古墳や天皇陵古墳を取り巻く問題から、考古学のリアルな現状が垣間見れる良書です!
日本全体にある「古墳」は約16万基。神社の約2倍、コンビニの約3倍もあるとか。それらの古墳の発掘調査を行う考古学者さんによる、リアルで率直な現場の声が読める良書です。
タイトルには「未盗掘古墳」と「天皇陵古墳」という2つのキーワードが並んでいますが、決して専門的すぎるような内容ではありません。難しい専門用語は使わず、現場の方々がどのようなことに歓び、悩んでいるのかが伝わってきます。とても興味深いドキュメンタリーになっていて、いつか映画化して欲しいくらいです(笑)
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説明文:「発掘すべきか否か? 古代のタイムカプセル。古墳は、その大部分がのちに掘り返され、埋葬品の多くが持ち出されています。それを「盗掘」といいます。しかし、数年に一度、盗掘されていない古墳が見つかることがあります。それが「未盗掘古墳」です。
未盗掘古墳は、つくられた時の状況がそのまま保たれています。そのため、そこに葬られた人物や葬った人びと、一緒に葬られた品々、葬る方法や技術、そしてそれを生み出した社会などについての豊かな手がかり(情報)を、万全の形で入手することができます。
この本は、そのような未盗掘古墳の説明に始まり、著者が発掘に関わった滋賀県の雪野山古墳と岡山県の勝負砂古墳という二つの未盗掘古墳について、発掘の経緯や発掘によって分かったことを紹介します。そこから得られる情報量は、盗掘されている古墳と比べてはるかに膨大なのです。
このように古墳の発掘は、古代社会を知るのに可欠な営みですが、近年では「より技術が発達しているであろう未来の考古学に託すため」という名目から、古墳を発掘しない傾向が強まっています。それに対して著者は、「掘れない古墳」の代名詞である天皇陵古墳の問題も挙げて、古墳を発掘することの学問的・社会的意義を論じます。」
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第一章は、「未盗掘古墳とは何か」。その定義などが説明されます。名の知られた古墳が、これまでほぼ盗掘を受けていますが、稀に誰からも荒らされていない埋葬当時の状況をそのまま観察できる未盗掘古墳が見つかるのだとか。奈良県斑鳩町・藤ノ木古墳などのように、大発見に繋がる可能性も高いものです。
しかし、現在では、未盗掘古墳が見つかったら発掘を進めず、より調査方法が発達した後世へ託すため、そのまま埋め戻してしまうということも珍しくないのだとか。あまりにも繊細すぎる話題で、納得できるようなできないような感じですが、そんな風潮があることも初めて知りました。
第二章では、筆者が現場に立ち会った「二つの未盗掘古墳」について語られます。学生時代に携わった滋賀県・雪野山古墳は、平安時代に一度は盗掘されかけながらも、すぐに埋め戻され、石室の真上で焚き火をした痕跡があったのだとか。遺骸が生々しかったためか、盗掘者が改めて供養していると見られるのも面白いですね。そして、2つめの未盗掘古墳となった岡山県・勝負砂古墳では、特異な構造に苦労しながらも、多量の埋葬品を発掘しています。
この発掘の過程が、とても面白いドキュメンタリーですね。発掘現場の方がどんなところで苦労し、どんな喜びを見出しながら調査を続けているのかが伝わってきます。
第三章は「もし天皇陵古墳を発掘すれば」。発掘調査が固く禁じられている天皇陵ですが、治定されている古墳の中には、かなり正確性が疑われるものも少なくありません。筆者は、後円部の直径150m前後、さらに時代的なものも考慮して、新たに天皇陵かと目される古墳18基を挙げています。
その中には、桜井市・メスリ山古墳、橿原市・見瀬丸山古墳も含まれています。これに加えて、現在の仁徳陵古墳(大仙古墳)は、すでにある程度まで内部の様子が伝わっていますので、天皇陵を発掘したのに近い考察はできるのです。具体的で冷静な指摘がなされていて、読んでいて説得力がありました。
また、天皇陵古墳を発掘調査できない理由として、「調査すると古代の天皇が日本人ではなく、渡来系だったことが分かってしまうからだ」というものが噂されたりもしますが、筆者によるとそれはまったく無関係なのだとか。天皇陵に遺っている(かもしれない)古代の天皇の遺骨からは、民族などの人間集団の同定は不可能なのだそうです。長い期間にわたって混ざり合ってきた近しい人種ですから、そこまで判断できないのは当然のことなのかもしれませんね。
そんな興味深い内容もあり、最後まで楽しく拝読しました。現在の考古学のリアルな一面が垣間見れる良書ですので、興味がある方はぜひ!