古代の都と神々―怪異を吸いとる神社 (歴史文化ライブラリー 248)
現在とは違った形の古の神社。都の怪異へ対処する機関となっていく歴史を解き明かす一冊
神社が神社として成立するようになってからの歴史と、人々との関わりの変遷を解き明かした一冊。古くは、神は時に人を喰らい、人々に災いを招く存在であり、「鬼」に限りなく近い存在でした。そんな神がどのように祀られ、都へと取り込まれていったのかを考察しています。
私たちが「神社」という言葉から連想するのは、お賽銭・狛犬・かしわで・おみくじ・お守りといったものですが、それらの多くは江戸時代ごろに発生し、明治時代に政府によって固定されたものなのだとか。それ以前の神社は、現在とはまったく違った組織や形態だったようです。
説明文:「草創期の神社と政治の、不思議な関係が渦巻く平城京と平安京。神社とは何なのか。京という空間の形成から「都の神」の成立、怪異を吸いとる神社の役割まで、古代の神社の歴史をたどり、都と神社との関わりを解き明かす。」
もともと古代の神社に関する記述は、天武・持統朝以前はほぼ見当たらず、畿内の古社を除けば、氏族がそれぞれ祀った神があるくらいで、地方には無縁の形態だったと考えられます。今では国家の象徴となっている伊勢神宮も、壬申の乱に勝利した天武天皇が持ち出すまでは、70年ほども顧みられない存在でした。人々に害をなすと考えられていた神々は、次第に国家によって管理され、統治の一手段となっていきます。
平城京・長岡京・平安京と、都が移るごとに神社の役割は変わっていき、賀茂神社・松尾神社・園韓神社・平野神社など、色々な役割を持つ神社が作られていくのも特徴です。こうした新しい神社をも朝廷のもとに置くために、10世紀前後に畿内の有力神社のランク付けともいえる「二十二社」制度が作られ、安定していきます。
この時代、神社の大きな役割となったのが「怨霊を鎮めること」。井上内親王・早良親王・菅原道真・橘逸勢など、恨みを抱えて亡くなった者たちのたたりを避けることが重要となっていきます。それと同時に、大雑把な言い方をすると「理解できない怪異が発生したら、それを何とかするのが神社である」という役割を、朝廷側はもちろん、庶民の側も信じ始めたこともエポックとなったようです。
ある時、西から奇妙な神を掲げた集団が上洛しようとしている、という噂が流れ、京が騒然となったことがあったとか。それはある意味では事実であり、ある意味では都市伝説的な噂話だったようですが、他の神が上洛を目指しているということは、迷信深い当時の人々が大騒ぎになるには十分な事件です。しかし、政府は「その神は石清水八幡宮へ行きたがっていたのだ」という内容にすげ替えて、この神を祀ることで事態を収束してしまいます。
こうしたデマや不安は、放置しておけば国家転覆に繋がってしまいます。そうしたものを一手に引き受ける組織として神社が働いてきたとも指摘しています。
天皇自身も神を畏れており、それと同時に神に護られる存在でした。「神仏から事件の予兆がありましたが、国家に鎮護儀礼を行うように勧めたところ、それは回避されました」という、ある意味では自作自演的な行為も繰り返され、それが信じられてきた時代だったのです。
…と、ちょっとまとまらない感想になってしまいましたが、永遠に続いているように思える神社ですら、時代によってその役割を変えているということがよく理解できました。やや難解な部分もありますので、誰にでもお勧めできるものではありませんが、興味のある方はどうぞ!