日本人は、なぜ富士山が好きか(祥伝社新書291)
歴史や信仰から見る、富士山と日本人との関わり。誰からも愛されてきた理由が分かります
世界遺産となる、日本を代表する霊峰・富士山。日本人と富士山との関わりの移り変わりを分かりやすく紐解いた一冊です。古来から美しい山容が愛されてきた富士山ですが、初めてその頂に立ったのは役行者だとされていたり、祀られている神が途中で変わっていたり、絵師たちが描く富士山の姿にも、時代ごとに変化が見られたりと、興味深い事実の連続でした。
なお、筆者ご自身が、富士山への信仰登山を「富士講」を引率した富士山御師の末裔で、理学博士であり、富士山文化研究会の会長をなさっているのだとか。私は富士講などの記述が読みたくて手にとっただけに、やや残念でしたが、富士山と日本人との関わりを多角的に解説してあって、最後まで飽きずに読めました。
説明文:「遠くのほうに小さな富士山を見つけたとき、山や雲の合間から富士山が顔を覗かせたとき、思わず心が躍ってしまう。私たちの血の中には、まるで富士山を好きになるDNAが組みこまれているかのようだ。日本人は古くから富士山を表現してきた。奈良・平安時代から江戸時代に至るまで、多くの歌や随筆、絵画によって描かれてきた。それが、いつしか「日本美の象徴」「日本人の心の山」となっていくのだが、その過程には何があったのか。社会文化面の富士山を掘り起こす書。」
本書で扱われるのは、富士山信仰の歴史、絵画の中に見る神仙思想、日本全国にある「ところ富士」の思想、海外から富士山が見えるという記述の意味、外人が富士山を見上げる絵が何度も描かれた理由などが解かれています。私は富士山に関しての本は本書が初めてだったため、とても興味深かかったですね。
●古くは遥拝する山だった富士山に、最初に登ったとされるのは大和国葛城山の麓に生まれた「役行者」。讒言によって伊豆大島へ流された際に、空中を飛び富士山へ修行したとされています。少なくとも9世紀には修験者が入峰していたようです。
●富士山の浅間大社などに祀られているのは、火を放って燃え盛る産屋で出産した「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」。父・大山祇神、夫・瓊々杵命(ニニギノミコト)との三神が多いのですが、古くは「赫夜姫」=「かぐや姫」だったとか。
●聖徳太子が愛馬・黒駒を駆って富士山を飛び越えようとしている図が、繰り返し描かれてきた。富士山を描いた作品で現存最古は、1069年の「聖徳太子絵伝」(東博所蔵)。
●古くから富士山を描く時、山頂を3つのギザギザとなる「三峰富士」を用いていた。実際の富士山はそんな姿ではないが、中国の影響などもあり、この書き方が定着した。
●「琵琶湖を作った際に大量の土が発生し、それを用いて作ったのが富士山」という伝承がいくつかの土地で伝わっている。
●近代に入り、「富士山が見える場所はすべて日本の領域」という思想が広まり、海外からも富士山が見えるという誤った逸話が喧伝された。また、外人が富士山を見上げる図が数多く描かれた。
などなど。日本軍国主義の象徴のように扱われた時代もありましたが、こういった歴史を知ることでより富士山への理解と親しみが増すでしょう。
なお、富士講の中興の祖・食行身禄の御詠歌「富士の山 登りて見れば 何もなし 善きも悪しきも 我が心なり」という歌が紹介されていましたが、響きますね。まさに日本人の心の深いところと結びついた心の山なんでしょう。