時間の古代史―霊鬼の夜、秩序の昼 (歴史文化ライブラリー 305)
朝・昼・夕、そして鬼が跋扈する夜。古代の人々の時間への概念を説話から読み解く一冊
古代~中世の人々が、朝・昼・夕・夜と、時間帯ごとに移り変わっていく世界を、どのように認識し、どのように暮らしていたのかを探った一冊。主に「今昔物語集」「日本霊異記」などの説話を、時間帯ごとに分類して紹介しています。切り口が面白いですね。
現在でも、夜の闇に対する恐怖心は残っていますが、華やかなネオンの灯りも街灯もない古代の夜は、今よりもさらに恐ろしいものでした。夜は霊鬼が跋扈する時間とされ、外を出歩くこと自体がタブー視されていたのです。もちろん、「貧弱な灯りのもとで悪人と出会えば、すべてが鬼に見えるだろう」という指摘もありますが、実際の古代の闇夜の暗さを想像すると、そんな現代の基準では判断できない気がしてきますね。
夜とは、外を鬼が歩きまわる時間帯であり、神や仏が姿を表し(大物主の神話など)、高貴な人々の葬送儀礼が行われます。地方から京へ戻る際にも、やましいことは何もないにもかかわらず、わざわざ人目を避けるために夜を選んだとか。ある意味では「人以外の者の時間」だったようです。
庶民たちの夜間外出は禁止されていましたが、何度か秩序の乱れを理由として、「夜祭歌舞・夜祭会飲の禁止令」が発布されていて、お上の目を盗んでは夜に集まったりすることもあったようです。タブーを犯してまで集まるのですから、さぞ盛り上がったことだろうと思いますよね。
そのような夜へと繋がる「夕」は、古代の人々には、「人の時間ではない時間」が近づいてきていると映ったでしょう。夕日の向こうに西方浄土を見た心情は、夜の闇の深さと対で考えてみるとよりリアリティーが増しますね。逆に、人の時間が戻ってくる「朝」も、その価値は現代人とは大きく違ったはずです。
また、本書の最後には、中大兄皇子が飛鳥の水落遺跡に造らせた、日本初の正確な時計「漏刻」の話も出てきます。この漏刻は、都と遠方の紛争地(太宰府など)に設置されたようであり、伊勢神宮ではどうだったのか…といった考察があったりするのも興味深かったです。
淡々と説話から紹介されていく流れのため、全体的な盛り上がり(?)には欠けますが、こうした切り口で古代の人々の生活に思いを巡らせてみるのも楽しいですね。