古墳時代のシンボル―仁徳陵古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
明治時代の調査資料などから、日本最大の古墳の真の姿に迫った一冊。資料が豊富で面白い!
大阪府堺市にある「百舌鳥古墳群」の中でも群を抜いて巨大な「仁徳天皇陵」(仁徳陵古墳)。その調査結果や過去の資料などから、真の姿を解説した一冊です。
このシリーズ全体にいえることですが、しっかりとしたデータと図版が掲載されており、理解不能な専門用語が連発されるようなものにはなっていないのがいいですね。100ページ未満とコンパクトにまとまっていますので、最後まで飽きずに読めます。
説明文:「世界遺産であるエジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵に劣らない巨大な仁徳陵古墳。陵墓のため立ち入りを許されないが、明治期に描かれた絵図、ボストン美術館収蔵の仁徳陵古墳出土とされる鏡や大刀、宮内庁による調査などからその真の姿を追求する。」
一般的に、天皇陵は宮内庁が厳重に管理しているためほとんど調査できず、不明な点も多いものです。しかし、仁徳陵古墳は、墳丘の全長が840メートルにも達する日本最大の古墳だけに、古くから良くも悪くも注目されていたようで、資料が豊富に遺されています。石棺の様子も記録されていますし、出土品群も遺されていたりと、とても興味深いんですね。天皇陵でここまで豊富な資料が揃っているところは、他には無いかもしれません。
明治に入り、大和・河内の巨大古墳群は陵墓として厳重に管理されていきますが、1872年、当時の堺県からの「古墳が鳥の巣窟になっていて不潔なので、清掃が行き届くようにしたい」との申し出が認められ、堺県令・税所篤らが立ち入り調査しています。その際に記録された石室内部の図は今でも残っていて、「亀ノ甲ノ如シ」と表現された長持形石棺がはっきりと描かれています。
また出土品も多数遺されていますが、ボストン美術館が所蔵する、仁徳天皇陵出土と伝わる鏡(細線式獣帯鏡)、そして太刀の柄部についても紹介されています。本書の中のコラムで触れられていますが、これらの由来は曖昧であり、時代的にももう少し後の年代と思われるのだとか。興味深い話ですね。
この他にも、同じ百舌鳥古墳群のものや馬見古墳群のものとの形の比較があったり、地図からたくさんの陪塚があったことが分かったり、出土した土偶の分類や、土器のハケ目で分類していたりと、多方向からアプローチしています。ここまで色んなアングルから天皇陵を分析できるんですから、さすがは日本最大の御陵ですね。圧倒されました!