古代出雲の原像をさぐる・加茂岩倉遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
39個もの銅鐸が見つかった加茂岩倉遺跡の発掘成果。読み応えあるドキュメンタリーです
遺跡の発掘経過やその成果をじっくりと読ませてくれる、渋い渋い「遺跡を学ぶ」シリーズ。39個もの「銅鐸(どうたく)」が一気に見つかったことで衝撃を与えた、出雲の「加茂岩倉遺跡」の回です。
説明文:「出雲平野の背後に連なる山々の懐深く、三九個もの銅鐸が一カ所にまとめて埋められていた。銅剣三五八本が出土した荒神谷とは約三キロの近さだ。周辺弥生集落の発掘成果もふまえ、古代出雲観に強烈なインパクトを与えた加茂岩倉銅鐸群の謎と弥生の出雲世界に迫る。」
このシリーズの良いところは、実際に現場に立ち会った方が執筆を担当することが多いため、発見の際の驚きや、発掘の苦労などがリアルに描かれることでしょう。
冒頭の文章が、「秋が深まり、穏やかな日差しが研究室の中に差し込んでいた。昼食をとり終えて眠気の虜になりそうな、そんな時だった。突然電話が鳴った。」という描写から始まるんです!この章の小見出しは「加茂町の岩倉ってどこだ」です。工事現場から偶然銅鐸が見つかったため、全くのノーマークだったんですね。そんなちょっとしたドラマが楽しめるのがいいですね。
そして、銅鐸が発掘されていくと、それらは全て入れ子(銅鐸の中に別の銅鐸が入っている)状態で埋められていたことが分かってきます。その柄には、トンボや鹿、謎の四足動物など、他のエリアでは見られない文様が描かれていたりしますし、調べを進めていくうちに、他の土地で同じ型から作られた「兄弟銅鐸」が存在するものも少なくありませんでした。
出土した銅鐸の専門的な分析なども紹介されていますが、私などはこの部分はほとんどは理解できませんでした。しかし、そうした部分を読み飛ばしたとしても、十分に面白いドキュメンタリーだと思います。
「銅鐸研究の歴史」という章も面白かったです。668年、滋賀県で「宝鐸」が出土したという記録が『扶桑略記』に見られるのが最初の記録で、江戸時代には平田篤胤なども研究書を書いているとか。しかし、銅鐸は弥生時代に属する青銅器の一種らしい…ということが見方が固まったのは意外と最近のことで、古墳時代のものとされるケースも多かったのだそうです。
…というような銅鐸に関する渋い知識も身につきますので、出雲好きな方はぜひ!