絵図に見る伊勢参り
江戸庶民が熱狂した「伊勢参り」のシステムを名所図会を交えて平易に解説した良書です
1797年に上梓された「伊勢参宮名所図会」の図版を織り交ぜながら、江戸時代に大流行した「伊勢参り」について分かりやすく掘り下げた一冊。現代とは社会制度も交通事情もまったく異なる江戸の世の中で、伊勢参りが庶民にどのような存在だったのか、とても興味深く読めました。
説明文:「江戸時代、「一生に一度の伊勢参り」といって多くの人が伊勢に詣でた。この情景を描いた「伊勢参宮名所図会」の中から、旅人の風俗、街道の店、内宮・外宮の杜、祭事などの図を一つ一つとりあげて解説。絵でみる参詣の旅。」
この本によると、江戸時代の伊勢参りとはこのようなものだったそうです。
●江戸中期には年間100万人ほど、20人に一人は伊勢へ行った計算に
●突発的に伊勢参りの人数が急増する「おかげ参り」。江戸時代の間に15回も発生し(ほぼ60年周期)、文政期には500万人にも達した
●江戸から伊勢までは片道20日ほど。さらに京都や金毘羅さんまで足を伸ばすことも多かった
●当時の農民は意外と豊かだった。元禄期の年貢は半公半民。農閑期の副業収入は年貢の対象外だった
●旅には道中手形が必要で、檀家制度によって寺社から発行されていた。しかし、伊勢だけは往来手形を持たない「抜け参り」も多く、ある程度黙認されていた
●講(みんなでする積立の組織のようなもの)をまとめ、ツアコンの役割までする「御師(おんし)」という職業のものも多かった
●伊勢への滞在は4泊5日ほど。御師の案内付きで、二見・外宮・内宮・末社めぐり・天岩戸・朝熊山などを参拝、さらに神楽奉納を見たりしたとか
●女性の伊勢参りは簡単では無かったが、決して少なくなかった。女性も妓楼へ上がり、伊勢音頭を見学する風習もあった。吉原のように、遊郭が女性ファッションの最先端化していた
関西圏はまだしも、はるばる江戸から伊勢までやってくるんですから、大変な苦労ですよね。本書では名所図会の場面と解説を紹介しながら、その熱狂ぶりを伝えてくれています。娯楽が少ない時代であったとはいえ、一生に一度の伊勢参りを心の糧とし、その間だけは思う存分にハメを外したんでしょうね。
伊勢参宮名所図会の内容も面白く、現在の伊勢とは違っている点が多々見つかります。現在は立ち入りが禁止されている外宮近くの高倉山には「天の岩戸」伝承地があり、江戸末期まで参拝が許されていたとか。また、外宮正殿の近くには「末社遥拝巡り」というコーナーがあり、短時間で参詣できるようになっていたのだとか。今の伊勢神宮からは考えられない姿でしょう。
編著「旅の文化研究所」の方々は、「落語にみる江戸の●文化」(食・旅・性など)というシリーズの著作もあるようです。これちらも機会があれば手にとってみたいと思います!