
天平グレート・ジャーニー─遣唐使・平群広成の数奇な冒険
天平時代の国家プロジェクト「遣唐使」の運命を描いた学芸エンターテインメント!
万葉学者の上野誠先生が手がけた長編小説。数奇な運命をたどった遣唐使・平群広成を主人公に、天平時代の大航海がいきいきと描かれています。400ページ近い長編ですが、ストーリーがテンポ良く展開するため、途中で全くだれません。この時代が好きな方は必読ですし、興味の無かった方でも楽しく読めるアドベンチャー小説に仕上がっていますね。
説明文:「天平五年(七三三)の遣唐使は数ある遣唐使のなかでも数奇な運命をたどったことで知られる。行きは東シナ海で嵐に遭い、四隻すべてがなんとか蘇州に到着できたものの、全員が長安入りすることはかなわなかった。それでも玄宗皇帝には拝謁でき、多くの人士を唐から招聘することにも成功、留学していた学生や僧も帰国の途についた。しかし…。第一船だけが種子島に漂着、第二船は広州まで流し戻されて帰国は延期、第四船に至ってはその消息は今日まで杳として知れない。そして第三船。この船は南方は崑崙(いまのベトナム)にまで流され、百十五人いた乗員は現地人の襲撃や風土病でほとんどが死亡、生き残ったのは四人だけだったと史書にある。
そのひとりが本書の主人公、判官の平群広成である。広成たちはたいへんな苦労の末に長安に戻り、さらに北方は渤海国を経て帰国。そのとき広成はなぜか天下の名香「全浅香」を携えていたという。若き遣唐使の目に世界はどう映じたのか?ふたたび日本の土を踏むまでに何があったのか?阿倍仲麻呂、吉備真備、山上憶良、聖武天皇らオールスターキャストで描く学芸エンターテインメント。」
まさに「学芸エンターテインメント」ですね!実際のところ、平群広成について史書に記されているのはほんのわずかな記述にしか過ぎません。そんなわずかな史実をもとに、万葉学者さんらしい考察で当時の状況をいきいきと描いているのですから、さすがです。
平群広成は、遣唐使として苦労して唐へわたった帰路、乗り込んだ船が嵐にあい、現在のベトナムへ流れ着きます。そこから唐へ戻り、北方の渤海を経由して日本へ帰国した際には、正倉院宝物となっている香木「全浅香」を持っていた…というのですから、もうそれ自体がミステリーですね。
そんなエピソードを骨格として、史実に基づいた(または他の資料から類推した)描写が肉付けされていくのですが、これがリアルでいいんですよね。
冒頭は遣唐使船が建造されるところから始まるのですが、遣唐使が派遣されることは直前まで完全に秘密とされていたそうです。その理由の一つは、国際情勢を直前まで判断するため。そしてもう一つは、遣唐使派遣が決定すると物価が跳ね上がるためだとか。おそらく綿密に試算した数字だと思いますが、遣唐使を派遣するには「国家財政の三分の一ほどの出費を要する」という、まさに国家的な大事業だったのです!
遣唐使船建造のために切りだされた木材が運ばれる際に、それがいつしか噂になり、庶民がこぞって運搬の手伝いを始めたりする描写(おそらく奈良の大仏さんを建造した際のイメージと重ねてある)があったりするのもいいですね。また、総勢600名もの人間が4隻の遣唐使船に乗り込み、一斉に移動するのですから、行く先々での食料を調達するのが困難を極めたり…と、興味深い描写がずっと続きます。今から1300年も昔の人々がいきいきと蘇ってくるようでした。
また、阿倍仲麻呂・吉備真備・山上憶良・井真成など、歴史的に有名な遣唐使たちも登場しますが、それぞれ通常のイメージとはちょっと違った、クセのある人物として描かれています。いちいちニヤリとさせられます。
遣唐使が主人公の物語ですから、あらすじだけ見るとちょっととっつきづらい印象もあるかもしれませんが、言葉遣いも完全に現代語ですし、とくにややこしく感じるようなところも無いでしょう。ただ、唐を中心とした新羅や渤海などのアジアの関係だけ把握していれば混乱することもないと思います。
ちなみに、上野先生ご自身は「拙い文章で…」とご謙遜なさっていらっしゃるそうですが、ごくたまに地の文章に小説的ではない、ややぶっきらぼうな表現が見受けられました。これがかえって語り部としてのリアルさを追求しているようで良かったですね。ストーリーもそれほどややこしく触っていないため、数奇な運命に翻弄された人間のたくましさと切なさがストレートに伝わってきて、素直に楽しめました。
日本の古代もので、これだけストレートに楽しめるエンターテインメントはなかなか見当たらないでしょう。ずっしりした長編小説ですから、私もかなり気合を入れて挑んだんですが、その面白さにすっかり引きこまれてしまって、一晩で読み終えてしまったほどでした。興味のある方は、身構えずに気軽に手にとってみてください!