
桜奉行 幕末奈良を再生した男 川路聖謨
出久根達郎さんが奈良の名奉行の日常生活を日記をもとに小説化。面白い!
江戸末期に勘定奉行などを歴任し、日露和親条約の締結の交渉にも当たった能吏「川路聖謨(かわじとしあきら)」(Wikipedia)。彼が奈良奉行として赴任した5年間を、日記をもとに創作を加えて描いた小説です。
作者は、出久根達郎さん。古書店を営みながら執筆活動を行い、本をテーマにしたエッセイや、『佃島ふたり書房』で直木賞を受賞されているかたです。本書では、誰からも愛された名奉行の日常をゆったりと描いていて、最後まで一気に読み終えました!
大国ロシア相手に和親条約締結を成し遂げた幕末敏腕外交官・川路聖謨。その知られざる奈良奉行時代を直木賞作家が描く。
明治元年三月十五日──江戸城総攻撃の日 前日の勝・西郷会談での攻撃回避決定を知らなかった川路聖謨(としあきら)は切腹の上ピストル自殺した──その時彼の目に映ったものは 奉行として初めて目にした古都奈良の桜ではなかったか。
世相がすさみ町も寺もあれていた奈良を立て直した人間味豊かな川路。なかでも特筆すべきは庶民も巻き込んだ桜楓の植樹活動である。その時植えられた桜は 百六十年たった今も 奉行所の裏を流れる佐保川の堤で美しい花を咲かせている 。
「内容紹介」より
川路聖謨が奈良奉行となったのは46歳のこと。1846年からの5年半を奈良で過ごしました。親しかった水野忠邦が行った「天保の改革」が頓挫したため左遷されたともいわれています。
奈良でも名奉行として親しまれたのですが、現在にも伝わっている功績といえば、やはり奈良に桜とカエデなどの植樹活動を主導したことでしょう。後々の観光業のことも考えて植樹を推進したとされており、桜の名所となっている佐保川には、彼の功績をたたえ、その名前を冠した「川路桜」が見られます。
奈良への赴任中の出来事は、江戸に残してきた実母を寂しがらせないようにと、逐一手紙にしたためて送っていました。同時に本人の日記「寧府日記」が現存しているため、当時どのようなことがあったのか、今でもほぼ把握できます。本書はその日記をもとに、奈良奉行の日常を淡々と描いています。
寂れていた天皇陵の調査を行ったり、お白州で裁きを行ったりといった描写とともに、真夏に奉行所の面々と「暑いと言ってしまったら罰金」というルールを取り決めてみたり、妻との何気ない会話が描かれてみたりと、とても味のある内容です。
奈良奉行所は、奈良きたまちの「奈良女子大」の敷地にありました。マムシが多くて蛇取りの者を頼む話や、鹿の角きりの場面など、奉行所のシーンも何度も登場します。その時の風景を思い浮かべやすくていいですね。
しかし、日記「寧府日記」では、8月8日のみがまるっと抜け落ちています。その理由は定かではありませんが、作者はここで空想を膨らませ、それまでとは一転して捕物帖的な展開へと向かうのです!グイグイ引き込まれました。さすがですね。
ちなみに、本書は天理市の「養徳社」さんから出版されたもの。担当なさった方にお声がけいただいて、少しお話を伺う機会があったのですが、同社は近年は主に天理教関連の出版物を手がけており、本書は月刊「陽気」という雑誌に連載中の「まほらま49」を単行本化したものだとか。そういう媒体に、直木賞作家・出久根達郎さんが連載を持っているのも驚きですね。
また、同社は長らく一般書の出版から離れており、本書が数十年ぶりになるのだそうです!セールス面では相当に不利な状況からのスタートになることを覚悟の上で、初版●部を(※結構大きい数です)刷ったというのですから、これは応援したいですね!
主人公もその周りの人たちもとても魅力的ですし、江戸時代の奈良の様子が思い浮かぶような描写も多く、奈良好きな方にはぜひ手にとって欲しい一冊です。ぜひ!