
自己流園芸ベランダ派
ベランダでの「植物生活」エッセイ第二弾。植物との日々の出会いと別れを淡々と
「ベランダ園芸」のベテランであるいとうせいこう氏が、その様子を綴った一冊。大好評だった前作『ボタニカル・ライフ―植物生活 (新潮文庫)』(書評はこちら)が、ウェブ連載をまとめたものだったのに対して、2006年発売の本書は朝日新聞で2年間連載されたものをまとめています。
説明文:「タレント、ミュージシャン、作家……と多様な顔をもつ、著者いとうせいこう氏は自宅マンションのベランダで60鉢もの植物を育てる「ベランダー」でもある。「ベランダー」とは著者の造語で、ガーデナーと区別したものだ。面積や日照時間が限られる都会の狭いベランダでは園芸書の知識は通用しない。著者は10年以上のベランダー経験をもとに自己流で植物の世話をし、試しては枯らし、枯らしては試すを繰り返す。しかし、その自由さこそがベランダーの醍醐味なのである。たとえ枯らしてしまってもいいのだと著者は言う。それも植物の生命のひとつのサイクルであり、そもそも植物の生命をコントロールしようとすること自体が無理なのだから……。本書は、そんな著者の植物生活をつづったものだ。著者と一緒に植物の生命の偉大さに驚き、感謝したくなる一冊です。 」
舞台となるのは、いとうさんがお住まいのマンションの、決して広くはないベランダ。季節ごとに園芸ショップの店頭に並ぶ植物たちを購入してみては、置く場所に困り、せっせと世話をし、花がつかないといっては落ち込み、いつの間にか力を失って枯れてしまい、しかしいつか復活するかも…という淡い期待があるためなかなか処分できない。そんな園芸好きな人間の浅ましい心理が伝わってきて、心から共感できます。
沈丁花・藤・ニッキ・ボケ・バナナ・月下美人・ミント・サザンカ・ヒヤシンス・夕顔・ブロッコリー・茶など、都会のベランダとはいえ、色んな植物の栽培に手を出し、見事に花が咲いた(または蕾すらつかない)といっては小躍りし、最終的にはいくつもの鉢の生育に失敗していきます。
本の帯には「枯らしたっていいんだ」というような文言が大きく書かれており、その心構えについてやや眉を顰めたくもなりますが、実際に園芸植物と向き合う良かれ悪しかれそういう傾向になるでしょう。決していとうさんが万全の手当をしているとは思いませんが、世話をさぼって枯らしているのではありません。
本書にもありますが、販売される植物がもっとも状態がいいのは、ファームを出荷された時点であり、そのタイミングで見事な花をつけている株であっても、次の年には咲かないことは珍しくなく、あっという間に調子を崩して枯れてしまうことだってあります。むしろこうなってしまうことが多いくらいです。そんな愛する植物の死を繰り返しながら、それでもその世話と観察を続けていくのですから、園芸好きとはおかしな人種ですね。
2年間のエッセイの中には、長い間ずっと花がつかなかった月下美人が大切な夜に突然開花してみたり、あんずとボケが奇跡的に人工授粉(?)してみたりと、ちょっと華のあるエピソードもありますが、ほとんどは買った・咲かない・枯れたといった地味な話です。巻末には、園芸家・柳生真吾氏、詩人・伊藤比呂美さんとの対談も収録されていて、こちらも面白かったです!
園芸好きな方はもちろんですが、あまり興味が無かった方にも読んでほしい内容ですね。私もそれほど詳しいワケではありませんので、スマホで植物の名前を画像検索しながら読みました。前作の『ボタニカル・ライフ―植物生活 (新潮文庫)』の方が手に入りやすいと思いますので、興味のある方はまずはこちらからどうぞ!