会津八一の旅
新潟生まれの歌人・会津八一の旅の足跡をたどった一冊。新潟県人には楽し恥ずかしです
新潟県に生まれ、後に歌人・秋艸道人として優れた歌を詠み、美術史家としても知られる会津八一。奈良の仏像を愛し、優れた歌を多数残しており、奈良の寺社などでは会津八一の歌碑が見られます。
そんな会津八一は日本各地を旅してその土地ごとの歌を詠んでいますが、筆者は実際にその足跡を追っています。八一は1881年生まれ(さらに8月1日生まれだから八一と名付けられたとか)で、この著書は1997年に出版されていますから、八一の旅とは70年前後の開きがあります。宿泊した宿まで丹念に追っていますが、さすがに営業していないところなども少なくありません。
個人的には、奈良を旅した際に詠んだ歌(歌集「南京新唱」など)については他の本でも読んでいますが、他にも信州や、九州方面への4ヶ月にも及ぶ長期旅行をしていたことは全く知りませんでした。臼杵の石仏群や大宰府跡を見ており、太宰府では「いにしえの とほのみかどの いしずゑを くさにかぞふる うつら うつらに」という余韻の美しい歌を遺しています。
紹介されているエピソードにも興味深いものが多かったです。
●「東大寺が年間の赤字で困っている時、道人の発想で仏像写真の葉書を一般に売り出したところ、黒字が赤字の倍になり、お礼にと道人を二の膳、三の膳つきで招待した」などというもの
●毎冬になると、新潟県の水原町・瓢湖(ひょうこ)には白鳥が飛来し、今では新潟の冬の観光名所になっています。これは吉川重三郎という人物が餌付けに成功し、数十羽から数千羽まで飛来数を増やしたのだとか。新潟日報社に勤めている当時、同社の文化賞を与えるために八一もここを訪れています
この他にも、同じ新潟県人の相馬御風との出会いのシーンなど、新潟生まれ・奈良在住の私にはとても興味深かったです。
ただし、八一の真摯な心持ちを表すため、文中に何度も「越後人に特有の●●で…」という表現が出てきます。●●には、勤勉さ・粘り強さ・真面目さ・親切さなどが入るのですが、あまりにも頻発するため、私も新潟県人のハシクレとして照れくさくなってくるほどでした。筆者も同郷で熱烈な郷土愛の持ち主なのかと思いきや、どうやら福島の方だとか。余計に気恥ずかしいです(笑)
余談ですが、あとがきの中で電車内の会話で「越後の三偉人」という話が聞こえてきたというエピソードを紹介しています。1997年当時は、「良寛、会津八一、田中角栄」だったとか。ほぼ同感!