東大寺の暗号
古代の東大寺の位置づけを探るセンセーショナルな歴史本
古代において「東大寺」という寺がどのような位置づけだったのか、光明子がどのような思いを込めて正倉院の宝物を献じてきたのかなど、他の寺院と比べて特殊な存在であった東大寺を中心に据えて、古代の歴史を新しい視点から捉えています。ただし、筆者は、東大寺について「驕りを感じさせない」寺と評しています。西大門勅額などについても、その美しさと価値を認めていますが、本書では東大寺そのものについての言及は少なめで、「ひとつの重要なキーワード」程度の重みでしょうか。
筆者は、古代史についてセンセーショナルな論を展開している歴史作家さんのため、どうしても突飛な妄想を語っているように思えるかもしれませんが、意外な真実もあり、鋭い指摘ありで、最後まで興味深く読めます。日本書紀の記述には、編纂者である藤原氏の意向が入り込んでいて、史実を表していないと考えられています。さらに、辻褄を合わせ損なったとしか思えないような突飛な記述なども見られますが、それらが合理的に説明されるため、どの意見も腑に落ちるのです。
ただし、奈良時代の宮廷の方たちが、現代人が見て合理的と思われる行動をとっているとも限らないため、全てをそのまま鵜呑みにはできないと思いますが、想像を膨らませていけるのが面白いですね。
筆者は、伝統ある蘇我氏の血筋と、新興の藤原氏の血筋の長年にわたる権力闘争という面から歴史を読み解いていきます。精神的にひ弱で遷都を繰り返した聖武天皇、藤原の娘として宮廷を牛耳った光明子という、これまでの常識とは真逆の論を展開していきます。また、長屋王の変の本当の目的は、蘇我系統の吉備内親王の血筋を絶えさせるためだった、後に藤原不比等に嫁ぐ県犬養三千代と、前の夫である美努王、その息子の橘諸兄との関係など、興味深い視点も多数ありました。
史書の記述の不自然さは、いたるところに見られます。その一例は、737年、長年精神を病んでいたとされる宮子(聖武天皇の母)が、光明子の邸宅で玄肪に会い、正気を取り戻す。そこにたまたま聖武天皇もやってきて、数十年ぶりに親子の対面を果たしたという、「続日本紀」の記述などでしょう。これは、藤原四兄弟が天然痘のためそろって急死し、藤原氏の支配が緩んだタイミングにあたり、宮子は精神に異常をきたしていたのではなく、藤原氏によって幽閉されていたのだと指摘しています。
その目的は?何故このタイミングだったのか?
ぜひ本書を手にとってみてください。これまでの歴史感に囚われないアングルからの謎解きが展開されています。